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2017年11月23日 (木)

江南6 杭州霊隠寺

第2日(10月26日)

杭州へ
 朝6:30に朝食で、7:30にロビー集合・出発と今日も朝が早い。それでももう街には車がたくさん走り始めている。

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 上海を外れると車も空いてきた。今日の目的地は杭州(こうしゅう)。中国には広州もあるので、中国通は「くいの杭州」「広い広州」と呼び分けるらしい。上海から直線で160kmくらいあるが、ずっと平らな道で山がどこにも見えない。長江デルタ地帯は平らで広い。
 ガイドのSさんによれば、上海の人口は2,400万人、蘇州が1060万人で杭州はちょっと少なくて920万人くらいだという。この数字はどこまでを市域に含めるかでだいぶ違ってくるらしいが、それにしても杭州や蘇州に1.000万人もいるとは驚いた。
 漢詩の下調べはしたが、そっち方面の下調べはしてこなかった。なんとなく地方のひなびた風情がある都市だろうと思っていた。まったく認識不足で、どちらも大都会なのだ。横浜の人口は370万人だといっても、それが何か? と言われそうだ。

 二時間近く走って嘉興(かこう)のサービスエリアでトイレ休憩をとった。

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 嘉興あたりは粽(ちまき)が名物だそうで、売店で買って食べてみた。しょうゆ味が濃くてうまい。これに比べると昨日食べた南翔饅頭店の粽は薄味で上品だった。わたしは嘉興に軍配を上げる。

霊隠寺(れいいんじ)
 杭州に入り、目的地の霊隠寺に近くなって、ようやく山影が見えてきた。

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 霊隠寺に近づくと車がずっとつながっている。観光客で渋滞しているらしい。中国では観光地はどこも大賑わいになっているようだ。国にそれだけの余力が生じ、活力があるということだろう。

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 霊隠寺には、その昔インドの慧理和尚(えりおしょう)がこの地に至り、この山は天竺の霊鷲山(りょうじゅせん)が飛来してきたものではないかと、ここに寺を建てたという伝説がある。だから寺の前の山は飛来峰(ひらいほう)と呼ばれている。
 写真の建物は「霊隠飛来峰售票处」で「售票处」は切符売り場である。ところがここは飛来峰の部分の切符売り場で、霊隠寺の中へ入るのはまた別料金になっていた。中国の観光地もしっかりしている。

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 飛来峰のふもとの渓谷の崖にたくさんの石仏が彫ってある。五代十国の呉越時代から元の時代まで、約340の磨崖仏があるという。

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 中でも有名なのが、巨腹の布袋像で、さっき買った切符にも載っている。

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Dscf6725t_2 これがその現場の写真。

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 腹の大きな布袋さんは中国で人気があるのかと思っていると、これがなんと中国では弥勒菩薩なのだという。
 それはないだろう。弥勒菩薩といえばほっそりと女性的で、いかにも慈悲に満ちたやさしく尊いお姿というのが日本の常識である。広隆寺や中宮寺の弥勒菩薩像が有名だ。
 しかし中国では本当にこれが弥勒なのである。証拠を見せよう。もう一つ同じような布袋像があった。

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 右足元の看板を拡大してみる。ほら、ちゃんと「布袋弥勒」と書いてある。

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 司馬遼太郎は、『街道をゆく19 中国・江南のみち』に書いている。
 布袋というのは後梁(907~923)のころ実在の禅僧で、家をまわって食を乞い、もらうと大きな布の袋に入れていた。そのため「布袋」と呼ばれた。腹が異様に大きく、常に半裸で、雪の中でもそのまま寝た。いわば異常人であった。だからその死後、布袋は弥勒菩薩の化身だったという伝説が生まれ、やがてそれが定着したのではないか、と。

 このお寺は中国禅宗十刹の一つで中国でも有名なお寺であったらしい。
 天王殿というお堂にかかる「雲林禅寺」の額は、清の康熙帝が書いたものだという。(下の「霊鷲飛来」は違う)

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 康熙帝は、けっこうポップな書体だったのだなあと思い、ここの主仏が金ピカの弥勒菩薩=布袋さんであるのを見ると、同じ仏教でもずいぶん違うと思わざるをえない。

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 いくつもある建物もずいぶん大きくて、色彩豊かである。

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 中の仏像も大きく派手やかだ。こんな大きくカラフルな像がたくさんあった。

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 敬虔な信徒らしい若い人たちがけっこういたのもちょっとした驚きだった。

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 現地の人たちのお参りの仕方は日本とは違う。両手でお線香を持ち頭の上にかざして、二拝三拝する。仏前にはひざまずくためのマットが置いてあって、そこでひざまずいて祈る。寒山寺でも同じだった。
 横浜の関帝廟は道教だが、同じように拝まれていたと思う。これが中国風参拝方式か。
 若い人たちが一生懸命祈っているのを見ると、中国共産党が宗教に寛容になったことはわかる。しかしこの先どうなるのかはまだわからない。
 真面目に祈っている人たちをパチパチ写真に撮るわけにもいかないので、下の写真はおおむね御一行の日本人である。

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 さて長くなった。厲鶚(れいがく)という清の文学者の漢詩を引いて終わりにしよう。

 霊隠寺月夜 厲鶚

夜寒香界白
澗曲寺門通
月在衆峰頂
泉流亂葉中
一燈群動息
孤磬四天空
帰路畏逢虎
況聞岩下風


霊隠寺月夜(れいいんじげつや) 厲鶚(れいがく)

夜寒く 香界白し
澗(たに)曲り 寺門通ず
月 衆峰の頂に在り
泉 乱葉の中を流る
一灯 群動息(や)み
孤磬(こけい) 四天空なり
帰路は畏(おそ)る虎に逢わんこと
況んや岩下の風を聞かんことを

○香界 仏の世界。霊隠寺境内。
○群動息 生き物が動きをとめて休息する。
○弧馨 馨(けい)は古代の楽器。ここでは禅寺の魚板(ぎょばん。たたいて時刻や食事を知らせる木の板)。カーンと鳴った後、四天が静まり返った。

 虎が出るのを心配するほど寂しいところだったらしいが、現在は観光客でにぎやかなところであった。

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