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2017年12月 4日 (月)

江南9 西湖を歩く2

西泠印社
 博物館の次は、来た道を少し戻って西泠印社(せいれいいんしゃ)というところへ行った。ここの「れい」の字は「冷」ではなく、さんずいの「泠」が正しいそうだ。
 わたしは知らなかったが、中国における篆刻芸術の中心地なのだそうだ。清代末期に篆刻家四人がここに結社をつくったのが始まりで、篆刻の工房などがたくさん活動していたという。
 だから同行者の中でも篆刻や書をやっている人は、前にも来たことがあるようだった。

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 小さな山がまるごと篆刻文化村のようになっていたらしい。

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 坂を登っていくと小さな建物があちこちにある。

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 建物をのぞいてみると、工房というより事務所のような感じになっているところが多い。現在は篆刻云々より、「庭園」として観光地化しているように思われた。観光客は多い。

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西湖で疲れる
 この西冷印社からバスまで帰るのが大変だった。タクシーで戻るつもりだったのが、西冷印社前ではタクシーがつかまらない。「空車」が来ても止まってくれないのだ。
 それでまた博物館前まで、歩いて戻った。ここならタクシー乗り場があるという.。ところがタクシー乗り場だというところには、まったく車が来ない。それらしい表示がないので、本当にここがタクシー乗り場なのか疑うくらい来ない。
 空車に手を振ってもダメで止まってくれない。ガイドのSさんが話しても、近すぎるからダメだと乗せてくれない。管理員のような人に頼んでもダメ。
 何か他の方法はないのかとSさんに話しても要領を得ない。バス亭があって乗合バスは来るけれど、あのバスは行く先が違うという。違ってもいいから、われわれのバスを呼んで乗り換えられる場所まで行こうと言っても、承知しない。こちらは道路のことも規制のこともわからないからそう強くも言えない。一行のイライラは募るばかりだった。

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 われわれは再度歩いてもなんとかなるが、高齢の両先生や足の悪い人は割増しでもなんでも払って帰るしかない。管理員に頼みSさんが話してようやく1台がうんと言ってくれた。30元で話がついたという。1元17円として510円だ。なんだそのくらいで話がつくならもっと早くやってくれ。1台100元でもいいぞ。
 しかし次の車が見つかるまでまたしばらく時間がかかった。今度は40元だった。そして最後にわたしが乗った車は50元になった。これは本当は4人しか乗れないところを、残っていた5人全員が無理矢理乗ったから更なる割増しもやむをえない。
 それにしてもいったい正規料金はいくらだったんだろう。中国のタクシーシステムはよくわからない。

河坊街
 タクシーも困ったものだが、駐停車禁止の規制が厳しくて、観光地の入口でバスの乗降ができないのにも困った。このあとの河坊街(かぼうがい)でもバスを坂の上の駐車場に止めて、そこからずっと歩いて行かなければならなかった。
 ここが河坊街の入口で、この右手に交番があってバスの駐停車を厳しく監視しており、駐車場はその奧の坂の上にあるというわけだった。

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 河坊街というのは、清代の街並みを再現した街で、日本で言えば江戸時代の宿場町を再現した商店街のようなものか。ここもにぎやかである。

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 道路の真ん中に飾り物があったり屋台が出たりしている中に、布袋の弥勒があった。小さな人形がいっぱい取りついていて、ガリバー旅行記のように見える。いったいどういう意味の展示であるのか、コンセプトがよくわからないというやつだ。

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 この商店街、建物の区切り目にはみんな「ウダツ」が上がっている。これも司馬遼太郎が『街道をゆく19 中国・江南のみち』に書いていた。司馬は、日本のウダツは江戸期に杭州あたりの民家から取り入れたのではないかという。隣家との間に障壁をつくって火を防ぐものである。中国語では「風火墻(フォン・フー・チャン」というそうだ。
 それなりの工賃がかかるから、ウダツがちゃんとある店が立派な商店とされ、できない奴がウダツの上がらない奴と言われたというわけだ。
 この商店街はウダツだらけで、日本の再現宿場町より全体の規模が大きい。人も多い。

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 西湖でたくさん歩いて疲れたので、お茶を飲んで休憩しようと言ったら、間口の狭いお茶屋さんの奧へ連れて行かれた。杭州は龍井(ロンジン)茶の本場なので、もっとちゃんとした茶社のようなところを期待していたのだが、やむをえない。

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 ともかく龍井茶を飲んだ。

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 街を見物した後は「皇飯児」という名前のレストランで夕食をとった。ここでもけっこうおいしい料理を食べたはずだが、よく覚えていない。歩き疲れたところにビールと紹興酒が効いたらしい。
 わたしの万歩計では、この日は18,173歩。旅行中の最大歩数であった。初日から五日間の平均が15,247歩だから、この旅行がともかくよく歩く旅行だったことがわかる。
 観光地の中を見物しながら歩くのはわかる。ところがその上、どこでも駐車場から観光地の入口までけっこう歩かされたのが大きい。時間もその分余計にかかって、見物の時間が少なくなっている。
 観光バスの乗降をこんなに厳しく規制しているのに、自家用車がけっこう中まで入っていたりする。詳しい事情も知らずに外国人が勝手なことを言ってもいけないが、排ガス減少のためにももっと自家用車を規制して、バスはゆるやかにしろと言いたくなった。

 河坊街からホテル(浙江梅地亞(めでぃあ)賓館)へ行くとき、そのバスの乗降規制に関して、おもしろい出来事があった。
 前に書いたように、河坊街へ入るのに、バスは坂の上の駐車場に停めて、そこから歩いてきた。帰りはその坂を登らなければならない。高齢で足腰に問題がないとは言えない両先生にこれ以上無理はさせられない
 ガイドのSさんが、商店街入口前の交番で交渉した。この二人にこの坂は登れない。特別にここでバスに乗るのを認めてくれと。S田先生は腰が少し曲がっていて、F田先生も杖をついている。(ずっと「高齢」とだけ言っているが、お二人の歳は「アラエイティ」で、わたしのように古稀になったばかりは漢詩連盟の中ではまだ「若手」なのだ。)
 その姿に加えて、Sさんもがんばってくれたのだろう。OKが出て、しばし両先生を交番に預けて、われわれはバスに乗るため坂を登った。
 その後交番前で無事両先生を救出して、バスの中で話を聞くと、なんと待っている間、若いお巡りさんが「ソーラン節」を歌ってもてなしてくれたそうだ。とても上手でいい声だった。「北国の春」も歌ってくれた。S田先生も一緒にソーラン節を歌ってきたという。
 これも日中文化交流のひとつと言うべきか。S田先生曰く「日本広しといえども、中国の交番でおまわりさんと一緒にソーラン節を歌った男は、そうそういないぞ」

  

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