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2018年1月 8日 (月)

星野元監督の死

 もと中日ドラゴンズの投手にして監督だった星野仙一氏が亡くなった。中日ファンとしてご冥福をお祈りします。
 わたしの星野(同時代でずっと「ホシノ、ホシノ」で見てきたので以下敬称略)に対する評価には、裏切られたファンとしての感情が含まれているので、あまり公正なものにはならない。とりあえず2008年に書いたものを再掲する。

 

『勝利投手』

 北京五輪での成績が芳しくなかったため、野球の星野監督がテレビや週刊誌でバッシングを受けています。
  わたしは昔からの中日ファンなので、阪神に寝返った星野(以下敬称略)には愛憎半ばするところがあり、あんな負け方では叩かれても仕方がないと思う反面、ここまでやらなくてもという気もしています。
  ということで今回は、星野が実名で出てくる野球小説『勝利投手』(梅田香子(ようこ)1989、河出文庫)を紹介します。

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  夏の甲子園に突然あらわれて優勝をさらった謎の投手は、実は野球部のマネージャーの少女だった。
  以前から中日ドラゴンズの星野の大ファンだった彼女は、その星野の援護で、大騒ぎのドラフトの後、中日に入団。そして同僚の捕手との恋や怪我などの曲折を経て、闘将星野監督のもと遂に中日を日本一に導く。

 と、あらすじを書くだけで恥ずかしくなるくらいの「熱血ロマン中日ドラゴンズ小説」です。星野ファンだった作者が、短大時代にミニコミ誌「星野新聞」を作って、そこに連載していたのがこの小説だそうで、なるほどそれならと納得できます。
http://www.odekake.us/index/brilliant_people7.htm
 実はこの本のことは去年まで知りませんでした。読んでみると、投手は鈴木孝政、小松、牛島、郭に半ば忘れかけていた都裕次郎、打者は平野、谷沢、大島、宇野…。二十年前の選手たちです。なつかしく、うれしく読みました。
 小説としてはそれなりのレベルに達しています。1986年に河出書房の文藝賞の佳作に選ばれて単行本として十二万部売れ、アニメーションにもなっています。横浜のわたしが全然知らなかったというのは、もっぱら売れたのは名古屋中心だったということでしょうか。
 
 しかし文藝賞で思い出すのは、あの高橋和巳です-巨人の左のエースだった高橋一三ではありません。第一回文藝賞を受賞したのが出世作『悲の器』でした。重厚で苦悩に満ちた高橋の作品を、わたしも学生時代、眉間に皺を寄せながら読んだものでした。
  このひたすら明るくてアッケラカンとした熱血野球小説が、佳作とはいえ文藝賞とは…わたしの知らないうちに、二十年前、すでに世の中は変わっていたようです。
  当時の選考委員だった江藤淳がこの作品をほめたそうですが、江藤淳は中日ファンだったという話ですから、多少割り引いて聞かないといけないかもしれません。
  ともかく、わたしは楽しく読みましたが、中日ファン以外の人も楽しく読めるかどうか、保証はできません。
 
 星野は、こんな小説が作られるくらい、昔から人気がありました。
  1982年10月、中日がリーグ優勝を決めた横浜スタジアムでの大洋戦、わたしは三塁側内野席で応援していました。小松が投げていて、ほぼ中日の勝ちが決まった終盤、引退が予測されていた星野を出して優勝投手にしてやれと、三塁側から「星野コール」の大合唱が起こったのを今でも覚えています。結局星野は出てこず、最後まで小松が投げたと思いますが。(

『神様、仏様、稲尾様』

 星野の話をもう少し。
 わたしの記憶にある星野は、今ひとつ頼りきれない投手、というものです。巨人戦、ウォーッと吼えながら途中までは好投するけれど、終盤力つきて結局打たれてしまう。格好はいかにも闘志にあふれていて人気はあったけれど、投手としての実力は一流とはいきませんでした。あのころの他球団のエースといえば、堀内、江夏、平松という超一流どころでしたから、星野に同程度の活躍を期待するほうが無理だったのでしょうが。

 あのころ中日のピッチングコーチをした、かつての西鉄ライオンズの大投手、「鉄腕」稲尾和久が、自伝『神様、仏様、稲尾様』の中に、星野のことを書いています。

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 昭和53(1978)年、稲尾は、中日のピッチングコーチになりました。

 特に面白かったのは星野だ。気持で投げる投手がいるというのを、彼と接して初めて知った。ウオーミングアップを見ていると、とても怖くて投げさせられないという気持ちになる。球がおじぎしている。ところが試合になると別人だ。特に巨人戦はすごい。自分で自分の頬にビシっとびんたを食らわせ、「イテッ」といってマウンドに向かう。そしてブルペンでは考えられなかったような球をびしびし投げる。ほかのカードでもこの気合が出せれば本当にすごい投手なのにと、もったいなく思えるほどだった。
 こんなことがあった。星野先発の試合、3点リードで七回まできた。球威が落ち始めていた。ピンチを招いてわたしがマウンドに向かうと、右のこぶしでグラブをバンバンたたき、いかにも元気いっぱいの様子。ところが「どうだ」と話すと「見てわかるでしょう。駄目ですよ。リリーフを用意してください」。
  一体この態度と会話のズレは何なのか。引っ掛かりを覚えながらも、行けるところまでということにしてベンチに帰った。
  八回またピンチになる。さすがにもう限界だ。再びマウンドに行くと、そこでも彼はピンピンしている様子で、疲れなどおくびにも出さない。しかし話はもう次の投手のことだ。「だから駄目だって言ったでしょう。ところで次は誰ですか」などと平気で交代を前提とした話をしてくる。「孝政(鈴木)だよ」というと「あいつ調子悪いですよ、大丈夫ですか」などと実に冷静だ。
  とにかくマウンドを降りるのは本人も納得だと思い、監督に交代の合図を送った。(中略) 
  交代となって、鈴木が出てくる。マウンドを降りていく星野。ここで彼の態度が一変するのである。憤然とベンチに向かったかと思うとグラブを地面にたたきつけた。納得の交代ではなかったのか。おまけに鈴木が打たれて追いつかれたのがまずかった。無念を示した星野のパフォーマンスに興奮していたファンから、「なぜ星野を代えた」と野次の集中砲火を浴びて、こちらもほとんど火だるま状態になってしまった。
  翌日星野を問い詰めた。「おい、昨日の態度は何だ。あれじゃまるで無理やり代えたみたいじゃないか」。その答えがふるっていた。
「稲尾さんはまだ名古屋にきたばかりで知らんでしょうが、私は燃える男といわれとるんです。どんな状況でも弱気なところは見せられんのです」
(稲尾和久『神様、仏様、稲尾様』2004、日経ビジネス人文庫、P232~234)

 星野は、燃える男を自分で演出しながら、一方で自分の力はちゃんとわかっていたんですね。(まるで自分を客観的に見られる福田首相のようだ?)監督として実績を残したのもうなずけます。(

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