窮居堂旅日記

2017年12月28日 (木)

江南16 蘇州

第5日(10月29日)

パンパシフィック蘇州
 第三日と第四日はパンパシフィック蘇州へ連泊した。中国古典風の外観で、なかなかいいホテルだったが、いくつもの建物がつながって迷路になっていた。自分の部屋にたどり着くのに二度迷子になった。

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盤門(ばんもん)
  盤門は蘇州に唯一残る城門で、元代に再建されたものだが、その始まりは、紀元前508年と古い。呉王の命を受けた大臣伍子胥(ごししょ)が、蘇州城を築城した際の 門のひとつだという。紀元前で年までわかっているところが中国である。呉越の戦いの中の重要人物で史記に列伝がある。
 盤門一帯は盤門景区という景勝地になっていて、ここも世界遺産なのだという。ホテルの敷地は盤門景区とつながっていて、ホテル側からも入れるようになっていた。
 この日はホテルの出発が8時半と遅かったので、その前に盤門を見に行った。
 奧にホテルの建物が見える。

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 公園のようになっていて広い。驚いたのはまだ朝七時台なのにけっこう人が出ていること。太極拳の団体や、個人的にラジカセをかけて踊っている人がいて、はては団体の観光客までいた。中国人は朝早いのだ。

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 ここでは失敗した。広いので全部をまわったらどれくらいの時間がかかるのかよくわからない。出発の時間もあるので、ここが盤門だと思って、ここからホテルへ戻ったら、これは麗景楼という建物で、盤門はもっと先だった。

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 これが本物の盤門。当然わたしが撮った写真ではない。手前の石造りの部分が門らしい。なかなかいいところである。これは見ておきたかった。

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蘇州博物館
 いよいよ旅もおしまいだが、午前中はまず蘇州博物館へ行った。ずらっと行列ができていて入場するまでに45分もかかった。今回の旅行でどこも急いで見て回ったという気がするのは、こうやって行列したり、目的地まで遠くから歩いて余計に時間をつかったせいである。

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 モダンできれいな建物だった。陶器などいろいろ見るものはあったが、結局並んでいたのと同じくらいの時間しかとれなかった。

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 ここは太平天国のとき、忠王府という江南地区の拠点があった。その関係の建物もあったが、そこまでは見られなかった。

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蘭莉園刺繍研究所
 次は蘭莉園という刺繍研究所へ行った。

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 精緻な作業が行われていた。ちょっとした土産を買った。

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 昼食はここの隣のレストランでとった。ここまで来ると、ああもう旅行も終わりだと脱力しかかっていたのか、何を食べたかよく覚えていない。
 ともかく食後、高速道路を上海浦東空港へ行き、それで日本へ帰る予定だった。それが台風22号のおかげで飛行機が欠航となり、もう一泊する羽目になったことは最初に書いた。(→江南1 飛行機欠航
 だらだら書いてきた旅行記もようやく全部つながった。これで終わることができる。なんとか年内に終わってよかった。
 最後までおつきあいいただいた方々、どうもありがとうございました。

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2017年12月25日 (月)

江南15 烏鎮・寒山寺

烏鎮
 水郷の烏鎮は完全に観光地化されており、この日は土曜日で観光客がいっぱいだった。

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 たしかに風情はあるが、川沿いの古い町を、ガイドさんからはぐれないようについて歩いて行くだけででは、情緒を楽しむところまではいかない。
 これは昔の診療所のようなところ。左手が診察室で、右手には薬の棚が並んでいた。

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 家の奧が民俗館のようになっているところがあって、昔の豪華な寝台とか衣裳などが展示してあった。

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 ここの街で入ったレストランは、これまでになく大衆的だったが、やはりコースのように魚など何品も料理が出た。江南は川魚の料理に特徴があるようだ。マコモの炒め物かなにかもあった。おいしかったけれど、一度くらいは麺の昼食を入れるべきだったと思ったのは歳のせいか。

 完全な観光地で、生活感はなかった。

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寒山寺(かんざんじ)
 いよいよ次は寒山寺へ向かう。有名な漢詩の舞台で、漢詩ツアーには欠かせない。

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 漢詩愛好者にとって、ここは中唐の張継が詠んだ「楓橋夜泊」の寺である。

 楓橋夜泊  張継
月落烏啼霜滿天
江楓漁火対愁眠
姑蘇城外寒山寺
夜半鐘声到客船

月落ち烏啼いて 霜天に満つ
江楓漁火 愁眠に対す
姑蘇城外 寒山寺
夜半の鐘声 客船に到る

 異郷で、夜しみじみと鐘の声を聞いたという旅人の詩だ。

 しかし寒山寺は塀を黄色に塗ったうえ、漢詩をいっぱい書きつけた賑やかな寺で、観光客もいっぱいだった。しみじみ旅情を味わうというわけにはいかない。

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 旅情はともあれ、日本人の詩吟の愛好者は、ここへ来ると「楓橋夜泊」をやらないではいられないものらしい。
 われわれも詩吟をやるN岡さんとM本さんに指揮されて、「楓橋夜泊」の詩碑の前で、一席吟じた。通りがかりの中国人観光客に注目されてしまった。

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 「楓橋」というのは寒山寺の前の京杭運河にかかる橋のことで、以前は誰でも入れたそうだが、現在は25元の入場料が必要で、しかも行列ができていた。寒山寺は漢詩とはイメージが違って賑やかな観光寺だし、楓橋の入口にわざわざ関門を作って金を取るのが気に入らず、入るのをやめてしまった。25元が惜しくて入らなかったわけではない。
 帰ってから、もう行くこともないだろうから見ておけば良かったとちょっと後悔した。これも判断の誤りだ。

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 これは近くの江村橋。楓橋も同じような橋だと思われる。

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 寒山寺前の運河に停まっていた船。遊覧船のようだ。千三百年前、鐘の音を聞いた船はもっと小さかっただろうか。

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蘇州シルク博物館(蘇州絲綢博物館)
 ここは絹織物の博物館。養蚕や製糸の工程などを展示している。

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 そもそもここは「呉」の国で日本とは古くからつながりがあった。百済を経由して、日本に最初に漢字が渡来したときの漢字の読み方は「呉音」と呼ばれる。六朝時代の江南音である。
 「呉服」ということばもある。今では和服全般をよぶくらいのことばになっているが、もとをたどると、呉の国の絹織物ということらしい。つまりこの博物館に展示されているもののことなのだ、とウンチクを垂れながら、わたしは展示されている織物などはざっと流して見ただけで、売店でも特に買いたいものはなかった。

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 夕食は東呉飯店というところへ行った。ここは蘇州大学が経営しているホテルらしい。やっぱり蘇州大学は相当大きな大学のようだ。

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 このレストランで魚の唐揚げなどを食べたが、詳しい記録はない。もう明日は帰国で、団長の勤めも終わりということで、ビールと紹興酒に忙しかった。

網師園(もうしえん)
 網師園も世界遺産の蘇州古典園林のひとつである。ここでは「夜の花園(夜花園)」という、いろんな民俗芸能を少しずつ見せる催しをやっていた。
 メインのステージがあるのではなく、建物の一室あるいは庭園の中で、劇や音楽の一部が上演される。客の方が順番に巡っていく。

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 いろんな楽器の演奏があった。昆劇は悲劇と喜劇の二本立て。

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 京劇もあった。これは上演後の写真撮影サービス。

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 いずれも短時間のサワリだけで、物足りないと言えば物足りないが、いろんなものが見られたのはよかった。
 庭には上弦の月が出ていた。

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2017年12月21日 (木)

江南14 烏鎮雅園

第4日(10月28日)

烏鎮雅園(うちんがえん)
 第4日もホテル出発は7:30と早い。このスケジュールは少し反省しないといけないと思いつつ蘇州から烏鎮(うちん)へ。烏鎮はこのあたりに数ある水郷古鎮の一つで観光地として有名なところである。その水郷へ行く前に、「烏鎮雅園」という老人施設を見学に行った。

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 漢詩ツアーがどうして老人施設へ行くのか?
  交流相手の団体をさがしてもらったとき、最初に出てきたのが老人クラブや老人大学の漢詩愛好会という話だった。それはいい。われわれのサークルも高齢者集団だし、漢詩のレベルも、そういう趣味の会であればトップクラスということはないだろう。われわれのサークルでもなんとか話ができるのではないか。
 杭州の老人大学と茶社でお茶を飲みながらという話も出て、期待していたのだが話はまとまらず、最後まで残ったのがこの烏鎮雅園の老人大学との話だった。
 結局日程があわず、交流はお流れとなったが、施設だけ見学させてもらうことにしたものだ。

 ではこの烏鎮雅園というのはどういう施設か。インターネットを見ても、中国語だからよくわからない。https://read01.com/zDxMgj.html#.WjWOKOQUnIU
 上記頁のタイトルは「烏鎮雅園――中国最成功的養老度暇施設となっている。中国で最も成功している「養老」と「度暇」の施設ということで、度暇というのは休暇を過ごすというよな意味である。
 ただの老人施設ではなく、病院からレジャー施設まで併設された、大きな老人の街のようになっているらしい。わたしはちょうどこの頃話題になっていた、倉本聰のテレビドラマ「やすらぎの郷」を連想した。
 帰国してから見つけたのだが、経済産業省関係の「上海介護拠点促進プロジェクト」の 調査報告に少し記載があった。これは中国に、介護施設の建物などのハードと介護サービスのソフトを売り込もうという計画で、中国ですでに展開されている事例として烏鎮雅園(烏鎮グレースランド)が報告されていた。(下記報告の19~25p)

http://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/healthcare/iryou/downloadfiles/pdf/28fy_China_HealthcaredesignNT.pdf#search=%27%E7%83%8F%E9%8E%AE%E9%9B%85%E5%9C%92%27 


 烏鎮グレースランドは、元気で健康的な生活を送りたい退職高齢者層のため、景観に優れた環境と豊富なレジャー建康施設を提供している。総合ヘルスケア養老パークは高齢者利用を中心に考えた計画で、機能的なデザインと懐かしさを有機的に統合したサービス施設であり、「養生養老、健康と医療、レジャー・リゾート」を三つのテーマとしている。敷地は、「養生住宅、老人大学、養老模範区、医療公園、特色商業区、リゾートホテル」の6つのゾーンからなっている。(p19)

 壮大な計画で、稼働しているのはまだその一部。建設工事が進行中だった。

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 完成模型を見ながらわれわれも説明を受けた。

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 日本的感覚の老人福祉施設ではなく、中国の民間資本による、退職高齢者が安穏に余生を過ごすための街づくりというところだ。けっこう恵まれた層を対象としているように見受けられた。居住区は別荘タイプ、高層集合住宅、低層集合住宅など様々なタイプがあり、当然価格は異なる。
 集合住宅のモデルルームも見て来た。マンションタイプで75㎡が125万元(1元17円換算2,125万円)、95㎡が170万元(2.890万円)ぐらいといいうことだ。

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 いくつも棟があって、いろんな部屋がある。

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 老人大学というのはカルチャースクールのようなもので、活動カレンダーを見ると、茶芸社、唱歌、太極拳、瑜伽、花鳥画などなど多彩な部活動がある。京劇倶楽部もある。撮影倶楽部は写真部だろう。交誼舞活動というのは社交ダンスだろうか。
 ここの漢詩愛好会と交流会という話をしてもらっていたのだが、そういう部はなく、詩朗誦活動というのが対象になっていたのだろうか。
 ともかくこことは日程が折り合わず、交流はダメになったけど、施設の見学だけさせてくださいということで訪問したものだ。

 ちょうどこの日、10月28日は旧暦の9月9日で重陽節にあたり、その催し物行われていた。現代の中国では重陽節は「敬老の日」(老人節)としているそうだ。
 「節日的歓笑 雅園的味道/第三届・重陽百寿宴/活動現場」という看板が出ている。

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 窓の外からのぞかせてもらうと、体育館のような広いところがバーティ会場になっている。会費は一人10元で、みんな自作の料理などを持ち込んでやるらしい。鍋を抱えてやってくる人たちとすれ違った。

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 以上が烏鎮雅園訪問記である。
 この訪問は一行から評判が悪かった。なんで観光地でもなければ漢詩とも関係がない、こんなところへ来たのか、というわけだ。
 これは団長たるわたしの責任である。最終的にここを日程に組み込んだのはわたしの判断で、こんなことを考えていた。
 第一に、最初に交流を考えた老人大学がどういうものなのか見ておきたかった。ひょっとして二度目のツアーがあるとすれば、老人大学が交流相手になるものかどうかこの機会に確認しておきたい。
 第二に「重陽節」の行事を見たかった。このツアーの日程は、10月28日が重陽節であることで決まった。漢詩には「登高」という、山に登る行事のことがよく出てくる。重陽節に行けばなら何か見るべき行事があるのではないか。お祭りのようなことをやっているのではないか。そう考えた。
 ところが探してもらったが、わたしの考えるような行事はなさそうで、この施設で何かやるということだった。だからきっと菊の花でも一杯飾ったお祝いか何かあるのではと期待した。せっかくこの時期を選んだのだから、何か重陽節にちなんだ行事を見たい。
 第三に、「やすらぎの郷」の影響もあって、老人施設に興味があった。それに観光地でないところへ行くことは、ツアーの特色にもなるのではないか。
 理由としては以上のようなところだったが、事前に参加者に十分な説明はしていなかった。結果としても、残念ながら期待ははずれた。
 訪問日が土曜日で老人大学は休業なので活動状況は見られなかったし、要するにカルチャー教室なので、団体同士の交流とはならなそうなのがはっきりした。
 重陽節の行事は上記のとおりで、伝統行事とは遠かった。菊の花もなかった。
 一行の中で老人施設に興味のある人はごくわずかだった。
 これでは時間の無駄と感じた人が多かったのも無理はない。

 団長として深く反省しております

 

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2017年12月18日 (月)

江南13 上海蟹

誠品書店
 蘇州市内にある金鶏湖という湖のまわりは「中国-シンガポール蘇州工業園区」―通称「園区」といって、蘇州市とシンガポール政府関係企業との合弁で開発されたところ。現代的な街になっており、ショッピングモールや美術館などがあるという。街並みは日本の都会とほとんど変わらない。
 その中で、「誠品書店」という本屋にだけ行ってきた。
 大きなビルの中にあって、ショッピングモールのような感じの、ともかく売り場面積の広い書店で、雑貨のようなものもたくさん置いてある。台湾資本で、ここは中国最初の出店らしい。
 最近の日本の書店は、個人経営の街の小さな本屋がどんどんなくなって、都会の大型書店ばかりが目立つようになっている。どこもきれいで大きくて、雑貨や洋品まで置いてあったりする。
 それを更にひとまわり大きくしたような感じで、一見これは東京駅の八重洲ブックセンターも負けているのではないかと思われた。ただとにかく本の数は多いが、どれほどのレベルの本まで置いてあるのかは、中国語なのでよくわからなかった。
 上海に着いたときから、広い高速道路、立ち並ぶビル群、観光地の人、人、人を見て、ああ日本はもう中国に負けているのでは、という感じが深くなった。この話をすると面倒なので、これでやめておく。

上海蟹
 この日は上海蟹を食べるということでみんな楽しみにしていた。ちょうど季節である。
 同じく金鶏湖の李公堤という、湖に張り出した堤にある「得月楼」というレストランへ行った。ところがこの李公堤へ入るのにバス規制だのなんだのあるようようで、ここでもたどりつくまで時間がかかった。道の両側にはびっしり自家用車が停めてあった。やっぱり規制のやり方を考え直して、大量輸送のバスを優先すべだと、バスの乗客は考えた。

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 得月楼は蘇州料理の有名店らしい。新舘や別館のような建物がいくつも並んでいるうちの一つに入った。

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 白身魚の料理とかいろいろあったけれど、印象深かったのはやっぱりこれ。

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 この大閘蟹(だいこうがに、ダージャーシエ)、日本ではもっぱら上海蟹と呼ばれているが、蘇州の陽澄湖(ようちょうこ)産の物が最高級で、今日のはそれだという。
 紐は生きているうちにかけるもので、蟹どうしが喧嘩をしないように、もう一つは蒸し上がった時に姿が壊れないようにするためだそうだ。
 握りこぶしぐらいの小さな蟹だが、割当はひとり一匹。食べるのがなかなか難しい。裏からフタを開けて身やミソをほじくりながら食べるわけだが、もともと小さくて大きな肉はついていない。ちまちまとほじくって行くしかない。
 この席には、0さんという蘇州在住の篆刻家が列席していてた。京都の龍谷大学に留学経験があり、日本語が上手でとても親日的な人らしい。本来ならOさんが今日の交流会・講演会の通訳を務めてくれる筈だったのが、仕事の関係でできなくなった。それなら夕食だけでもとS社長が呼んだものだ。
 そのΟさんが殻のはずし方から身の取り方まで細かく食べ方を教えてくれた。しかしわたしはもともと魚を食べるのが下手で、蟹もうまくいかない。手間をかけたけれどだいぶ取り残しがあった。
 食べるのは面倒だけれど、味は悪くない。同行者の中からやっぱり松葉ガニの方がうまいよという声も聞こえたが、これは松葉やタラバとは別のもので比較はできない。微妙な味わいがあって、中国人が夢中になるのもわかるような気がした。

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 さてその0さんからは「今日中国」というグラフ雑誌のようなものをいただいた。右がOさんで、左はその老師らしい。
 A3判の大きな雑誌で、16頁と薄いけれど、ほとんど全頁がOさんの作品の紹介だ。それだけの篆刻作家としての実績や地位があるということだろう。PR用のものであるのかもしれない。しかし0さんからは自分の作品や関連商品を売り込むような話はいっさい出なかった。
 一行の中で篆刻を趣味とするN岡さんは、スマホで自分の作品を見せ、いろいろ話を聞いて、本場中国の専門家と話ができたととても喜んでいた。明くる日にはホテルまでわざわざ届けてもらって、著書を一冊いただいた。
 それなりの地位のある人が、海の物とも山の物ともつかない今回の交流会のために一度は通訳を引き受けてくださり、またわざわざやってきて、蟹の食べ方まで教えてくださった。本当に日本が好きな方なのだ思う。ありがとうございました。

 

 

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2017年12月14日 (木)

江南12 講演会

講演会
 次は蘇州大学での講演会である。これは漢詩愛好団体を探す中でM社が見つけてくれた話。日本の漢詩についての研究がある先生がいて、講演をしてくれるというのだ。関西の大学の客員教授をしていたこともあり、日本語もできる。
 比較文学をやっている人で、論文のリストを見ると、「古代東亜漢文化圏中の懐風藻」とか「幕府執政者意識形態と日本五山漢詩」とか、わたしなど読んだこともなければ読めそうもない日本の古典が出てくる。こんな先生に日本の漢詩について講演をしてもらえればさぞ面白いことだろう。ぜひ、とお願いした。

 訪問した蘇州大学のキャンパスはそんなに広くもなかったが、ここだけではなく他にもあって、けっこう大きな大学らしい。

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 通された教室は小さめで、いろんな掲示物があって、大学というより高校の教室のような感じがしたが、中国ではこんなふうに使っているのかもしれない。
 教授のゼミの学生だろうか、若者が七、八人いて、お茶を出したりしてくれた。

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 これが講演をしてくださったG教授。演題は「同化と異化―日本漢詩と中国古典詩歌伝統」で中国語で行われた。

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(講演概要)日本人は中国の漢詩を受け入れて、一方では同化したが、他方では日本的なものを取り入れて異化した。日本は外来文化を表面的には拒まない。しかし選択的に受け入れる。バランスが良い。
 「摂取醇化」―作者も読者も日本人だから日本人に見合うものになっていく。中国では「志(陳述心志)」を表すが、日本では「心」を表す。内面的な「あわれ、わび、さび」が日本の漢詩にあらわれる。
 「和習」=「和臭」にはミスの和臭とわざと作った和臭がある。菅原道真は「晩秋二十首山寺」であえて韻を踏まなかった。和魂漢才的主張である。石川丈山の「富士山」は和臭の代表。日本人の心を書いた詩で中国人の感性にはない。中国のまねの和臭から、和漢を配合して発展させた内容になり、中国の漢詩とは違う漢詩になっている。(ICレコーダーで録音していたつもりだったのに、なぜか録音されていなかった。不覚だった。)

 教授は高度に完成した「和臭」に好意的だった。現在日本で漢詩を作っている人間にとって「和臭」は排除しなければならないもので、われわれ初心者は「それは和臭だ」といつも怒られている。だからなんとなくうれしかったが、初歩的な「和臭」が認められたわけではない。
 教授の著書「橘与枳」は「南橘北枳(なんきつほくき)」―江南のおいしい橘を淮水以北に植えると食べられない枳(からたち)になってしまう。人は環境次第で良くも悪くもなると―という成語からきている。日本の漢詩は、味は変わったが、それなりに食べられるということだろう。有意義だった。

 講演終了後、S田先生は講演後、教室の黒板に新作の漢詩を詩を発表された。

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 教授以下、学生たちも読んで感心していた。橘は何に変わっていただろう。

平江歴史街区(へいこうれきしがいく)
 講演会も無事すんで、それなりに好評だったので、団長としてはこれでようやく一息ついた。あとはガイドさんに連れられて名所めぐりをすればいい。
 平江歴史街区は、古い運河沿いに柳並木と石畳に古い街並みが並ぶ。いいところだけれど、最初に片側工事中の道をけっこう歩いた。
 このあたりの運河も、京杭大運河(けいこうだいうんが、北京と杭州を結ぶ)のうちの江南運河の一部の蘇州段運河のさらに一部として、世界文化遺産に登録されているそうだ。
 大運河につながる運河の街、水の都蘇州の歴史地区とということである。
 李香蘭・渡辺はま子の「蘇州夜曲」で「水の蘇州の 花散る春を 惜しむか柳が すすり泣く」と歌われているのはこんな風景か。

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 最初に昆曲博物館へ入った。

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 昆曲(こんきょく)は昆劇(こんげき)ともいい、この地方を中心に行われている古典劇で、京劇より古いらしい。坂東玉三郎が「牡丹亭」という昆劇を上演して日本でも話題になったことがあった。
 当初は昆劇も見たいと思っていたが、「牡丹亭」をちゃんと見ると二時間かかって、入場料もそれなりに高いというので計画からははずした。
 中には舞台もあって、衣裳とか道具など展示してあった。こんな庭もあった。

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 運河沿いはカフェや土産物屋のような店があって、ここも観光客は多い。

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 のんびりするにはよさそうなところだったが、この日はけっこう忙しかった。



   

 

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2017年12月11日 (月)

江南11 交流会

交流会
 滄浪亭は川のほとりにあった。M社のS社長が待ってくれていた。当初は中国へ来る予定はなかったが、予定していた通訳が来られなくなり、仕事かたがたこの日だけ通訳に来てくれたもの。知っている人に会うと心強い。

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 橋を渡って行く。観光客なのか近所の人たちなのか。たむろしている人たちがいる。ここは規模が小さいせいなのか、同じ世界遺産の庭園でも拙政園や留園といった大きな庭園とは違って観光客はそんない多くないようだ。

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 「鋤月軒」と額のかかった一室に案内され、交流会が始まった。

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 SR詩社のS社長とわが方のS田先生の挨拶と相互の紹介からはじまり、わたしもサークルの紹介と日本人と漢詩について少し話させてもらった。

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 当方のN野さんの依頼により「前赤壁の賦」が中国語で朗詠されると、G前詩社長など詩社の皆さんの漢詩の朗詠が次々続いた。民謡のように音楽的で、おまけにみなさん美声でよく声が通る。感動的だった。
 同じ詩を現在の中国の標準語である普通話と蘇州方言の両方で詠ってくださったりもした。残念ながら言葉の違いはよく判別できなかったが、どちらも素晴らしい。
 順にみなさんが詠われて、当方は間をぬってS先生が詩吟を披露されただけで、後は出番がなくなるくらいだった。詩吟の二番手、三番手も用意していたのだが。

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 そして書家のO氏、画家のK氏の席上揮毫があった。

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  朗詠を依頼した「前赤壁の賦」の中の「則物與我皆無尽也」から「物我無尽」の四文字を選んだもの。

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K氏の画。遠山に近景の竹が配してある。

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 当方はU山さんが同じく席上揮毫で応えた。U山さんは書家である。

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 和気藹藹の楽しい交換会で、このあと昼食も近くの新天倫之楽大酒店というホテルの蘇州料理店でいっしょにとった。

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 相手方にも漢詩が好きな日本人がやってきて楽しかったと言っていただけたそうだし、こちらも愉しんだ。特にあの朗詠を聞かせてもらったのは大きな喜びだった。
  暖かく迎えていただいた詩社の方々には感謝あるのみです。
 反省点はいくつもある。
 もっとお互いの意見交換をしたかったのに、通り一遍の挨拶と紹介ぐらいで中身のある話し合いはほとんどできなかったこと。ぶっつけ本番でどういう展開になるのかわからなかったから、時間配分をきちんと決めておかなかった。
  もっとも時間があっても中国語ができないと、個人的に親しくなるようなところまではいかない。通訳を介してでは対話も限定される。
 記録についても深く考えていなかった。あんな素晴らしい朗詠が出てくるなら、きちんと録音してくるべきだった。途中であわててICレコーダーを引っ張り出したけれど、うまく採れていなかった。 
 初めてのことでやむをえない点もあったけれど、もし次回があるとすれば、反省点をふまえて、もっとうまくやりたいと思う。
 しかし、ともかく皆さんに喜んでもらえたようで、成功裡に終了することができ、非常にうれしかった。団長としては、肩の荷が一つおりた。

 ということで、わたしはゆっくり庭園を見ているひまがなかったが、滄浪亭はいいところだった。他の大庭園とは違って、派手派手しさがなく、日本人好みの静かな庭園であるように見受けられた。

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2017年12月 7日 (木)

江南10 旅のはじまり

第3日(10月27日)

 さて、この日は今回のツアーの目玉、蘇州の漢詩愛好会との交流会と、蘇州大学の教授の講演会があった。これをやるためにこのツアーが組織されたようなものなので、ここでそのはじまりを説明しておこう。
 さらにその前に言っておかなければならないのは、わたしは2年前から小さな漢詩愛好者のサークルに参加していることと、成り行きからその世話人になっていること。会場を確保したり会費を集めたり、会の運営にはあれこれ雑務が必要になる。それををやらされているわけだ。
 そのサークルが所属しているのが神奈川県漢詩連盟で、さらにその上には全日本漢詩連盟もある。そしてこれらの組織の特徴は漢詩愛好といっても漢詩を読むだけでなく、漢詩の創作を活動の中心にしていることだ。今どき? と思う人が多いだろう。そのとおり、連盟内では、われわれは「絶滅危惧種」だという声がよく聞こえる。
 

旅のはじまり
 サークルの例会のあとの飲み会の席上。今年は鎌倉あたりで吟行会をやろうという話から、いっそU村さんに上海を案内してもらったらどうかという話が出た。U村さんは某日中関係団体の委員をされていて中国には詳しい。上海にはしょっちゅう行っている。
 会のメンバーで行くなら漢詩に関するツアーにしたらどうか。「江南の春」のような風景や寒山寺を見に行こうと「江南漢詩ツアー」のアイデアが誕生した。
 さらに、わたしには現在の中国ではどんな人たちが漢詩を愛好しているのか、漢詩はどんな位置にあるのか、という興味があったので、できれば現地の漢詩愛好者との交流会をやろうと提案した。
 しかし中国の漢詩愛好者とどうやってコンタクトをとるか? われわれの会にはとてもそんな力はないが、現地の人たちと李白が好きだ、杜甫がいいという話ができればそれは立派な日中文化交流である。U村さんに力を貸していただけないか? と話は進んだ。
 そのためにまず会の公式行事にしようと例会で提案すると、「日中交流とかいって堅苦しいのはいやだ」という意見や「政治的に利用されることはないか」という疑念も出た。「堅苦しいことはしないようにするから」「政治的なことには関わらない」と説明し、了承を得た。
 県漢詩連盟の公認ももらって、関係団体の後援をいただくことになった。顧問格のS田先生、F田先生にも参加いただき、さらに他のサークルにも呼びかけて総勢13人になった。
 そしてU村さんから、M社を紹介してもらい、ツアーの企画及び現地との交渉にあたってもらった。M社は日中間で翻訳など主に情報サービスをしている会社で旅行業者ではない。S社長は中国人で女性である。
 S社長にはご苦労をかけた。まず現地の漢詩愛好者を探し出してもらわなければならない。蘇州市役所に愛好者団体の紹介を依頼するところから始めたそうだ。それが老人大学に漢詩の教室があるとか、民間の詩社があるという話に結びついていった。
 しかしなかなか話が固まらない。まだかと催促したら、社長に「中国では二週間くらい前になるまで話が決まらないんですよ」と言われたこともあった。経費の面でも無理をきいてもらった。
 最終的に、蘇州の民間漢詩愛好団体であるSR詩社との交流会と蘇州大学のG教授の日本人の漢詩に関する講演会を実施することができ、成功裡に終了した。漢詩のふるさとを尋ねるツアーは他にもあるだろうけれど、今回のツアーは、交流会と講演会のあるオリジナルなツアーになった。U村さんとS社長のおかげである。
 そのU村さんが、直前になって家庭の事情で参加できなくなったのはまったく残念だった。

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 できあがったM社の「旅のしおり」の名簿には、わたしの名前に「団長」の肩書きがついていた。おいおいサーカスみたいじゃないか。
 いつのまにかわれわれは「訪中団」になっていたんだろうか。向こうでは「世話人」と言っても通じないのかもしれない。まあ言い出した責任者ではあるのでやむをえない。
 こうなったら紀行文のタイトルは「団長亭日常」とか「団長の思い」とでもしようか。

蘇州へ
 また朝7:30に杭州のホテルを出発して、蘇州へ向かう。天気はよさそうだがすっきりは晴れない。薄いスモッグのようだ。上海もそうだった。北京の大気汚染が有名だが、その他の大都市もみな同じ問題をかかえているとみえる。
 今日、交流会をやるSR詩社は、M社の情報によると、民間の団体で、漢詩に興味をもっている弁護士、大学の先生、古典文学の研究者、定年退職した教育者などにより構成され、会員は百人未満。漢詩についてのセミナーの開催、漢詩、詞などの創作やコンテストなどの活動を行っている。詩の他に書道、絵画、琴、囲碁などに長けた人も多い、という。
 生活レベルも高そうだし、漢詩のレベルもかなり高そうだ。この情報をきいたとき、S田先生、F田先生のお二人に参加してもらってよかった、と思った。
 わがサークルは漢詩を始めて三年目の初心者ばかりで、漢詩について深い話になったり、漢詩の交換というようなことになると、とても太刀打ちできない。初めての試みなので、そう難しい話にはならないはずだが、お二人にいていただければ安心だ。
 S社長とのおおまかな打合せだけで、細かい進行予定はない。成り行き次第でやるしかない。実際にどんな人たちが来てくれるのか、行ってみなければわからない。
 これが今回のツアーの目的であり、目玉なので、成否に「団長」の責任がかかっている。そう思うとさすがにわたしも緊張した。 

滄浪亭(そうろうてい)
 先方が用意してくれた交流会場が滄浪亭というのもちょっとした驚きだった。わたしが買ったガイドブックにも「蘇州でもっとも古い庭園」として載っている名園である。
  実は行くまで知らなかったが、ユネスコの世界遺産「蘇州古典園林」のひとつなのだという。日本ではなにかひとつ選定される度に大騒ぎしている「世界遺産」が会場だったのだ。
 唐の末期に造営され、北宋時代、11世紀中期に詩人蘇舜欽(そしゅんきん)が買い取って改築した。滄浪亭という名は、有名な屈源の「漁父の辞(ぎょほのじ)」から名づけられた。

      滄浪之水清兮  滄浪の水 清まば
   可以濯吾纓    以って、吾が纓
(えい)を洗うべし。
     滄浪之水濁兮  滄浪の水 濁ら
ば、
      可以濯吾足    以って、吾が足を洗うべし。

 蘇舜欽には、「初晴遊滄浪亭(初めて晴れ滄浪亭に遊ぶ)」という詩がある。大意は、竹内実『岩波漢詩紀行辞典』による。

  夜雨連明春水生  夜雨 明に連って春水生じ
  嬌雲濃暖弄微晴  嬌雲 濃暖 微晴を弄す
  簾虚日薄花竹静  簾虚しく日薄く花竹静かなり
  時有乳鳩相対鳴 時に乳鳩
(にゅうきゅう)有り 相対して鳴く

 夜の雨が明け方まで及んで池の水かさが増した。これは春のしらせの水だ。
 女性がしなをつくるような雲は濃く暖かく、わずかな晴れ間をつくってくれた。
 簾の奥には人の気配がなく日も弱く花も竹もしまりかえっている
 ときおり鳩のひなが親鳥と向き合って鳴いている

 ともかく由緒正しい庭園に招かれたということだ。心して行かねばならぬ。

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2017年12月 4日 (月)

江南9 西湖を歩く2

西泠印社
 博物館の次は、来た道を少し戻って西泠印社(せいれいいんしゃ)というところへ行った。ここの「れい」の字は「冷」ではなく、さんずいの「泠」が正しいそうだ。
 わたしは知らなかったが、中国における篆刻芸術の中心地なのだそうだ。清代末期に篆刻家四人がここに結社をつくったのが始まりで、篆刻の工房などがたくさん活動していたという。
 だから同行者の中でも篆刻や書をやっている人は、前にも来たことがあるようだった。

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 小さな山がまるごと篆刻文化村のようになっていたらしい。

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 坂を登っていくと小さな建物があちこちにある。

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 建物をのぞいてみると、工房というより事務所のような感じになっているところが多い。現在は篆刻云々より、「庭園」として観光地化しているように思われた。観光客は多い。

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西湖で疲れる
 この西冷印社からバスまで帰るのが大変だった。タクシーで戻るつもりだったのが、西冷印社前ではタクシーがつかまらない。「空車」が来ても止まってくれないのだ。
 それでまた博物館前まで、歩いて戻った。ここならタクシー乗り場があるという.。ところがタクシー乗り場だというところには、まったく車が来ない。それらしい表示がないので、本当にここがタクシー乗り場なのか疑うくらい来ない。
 空車に手を振ってもダメで止まってくれない。ガイドのSさんが話しても、近すぎるからダメだと乗せてくれない。管理員のような人に頼んでもダメ。
 何か他の方法はないのかとSさんに話しても要領を得ない。バス亭があって乗合バスは来るけれど、あのバスは行く先が違うという。違ってもいいから、われわれのバスを呼んで乗り換えられる場所まで行こうと言っても、承知しない。こちらは道路のことも規制のこともわからないからそう強くも言えない。一行のイライラは募るばかりだった。

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 われわれは再度歩いてもなんとかなるが、高齢の両先生や足の悪い人は割増しでもなんでも払って帰るしかない。管理員に頼みSさんが話してようやく1台がうんと言ってくれた。30元で話がついたという。1元17円として510円だ。なんだそのくらいで話がつくならもっと早くやってくれ。1台100元でもいいぞ。
 しかし次の車が見つかるまでまたしばらく時間がかかった。今度は40元だった。そして最後にわたしが乗った車は50元になった。これは本当は4人しか乗れないところを、残っていた5人全員が無理矢理乗ったから更なる割増しもやむをえない。
 それにしてもいったい正規料金はいくらだったんだろう。中国のタクシーシステムはよくわからない。

河坊街
 タクシーも困ったものだが、駐停車禁止の規制が厳しくて、観光地の入口でバスの乗降ができないのにも困った。このあとの河坊街(かぼうがい)でもバスを坂の上の駐車場に止めて、そこからずっと歩いて行かなければならなかった。
 ここが河坊街の入口で、この右手に交番があってバスの駐停車を厳しく監視しており、駐車場はその奧の坂の上にあるというわけだった。

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 河坊街というのは、清代の街並みを再現した街で、日本で言えば江戸時代の宿場町を再現した商店街のようなものか。ここもにぎやかである。

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 道路の真ん中に飾り物があったり屋台が出たりしている中に、布袋の弥勒があった。小さな人形がいっぱい取りついていて、ガリバー旅行記のように見える。いったいどういう意味の展示であるのか、コンセプトがよくわからないというやつだ。

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 この商店街、建物の区切り目にはみんな「ウダツ」が上がっている。これも司馬遼太郎が『街道をゆく19 中国・江南のみち』に書いていた。司馬は、日本のウダツは江戸期に杭州あたりの民家から取り入れたのではないかという。隣家との間に障壁をつくって火を防ぐものである。中国語では「風火墻(フォン・フー・チャン」というそうだ。
 それなりの工賃がかかるから、ウダツがちゃんとある店が立派な商店とされ、できない奴がウダツの上がらない奴と言われたというわけだ。
 この商店街はウダツだらけで、日本の再現宿場町より全体の規模が大きい。人も多い。

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 西湖でたくさん歩いて疲れたので、お茶を飲んで休憩しようと言ったら、間口の狭いお茶屋さんの奧へ連れて行かれた。杭州は龍井(ロンジン)茶の本場なので、もっとちゃんとした茶社のようなところを期待していたのだが、やむをえない。

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 ともかく龍井茶を飲んだ。

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 街を見物した後は「皇飯児」という名前のレストランで夕食をとった。ここでもけっこうおいしい料理を食べたはずだが、よく覚えていない。歩き疲れたところにビールと紹興酒が効いたらしい。
 わたしの万歩計では、この日は18,173歩。旅行中の最大歩数であった。初日から五日間の平均が15,247歩だから、この旅行がともかくよく歩く旅行だったことがわかる。
 観光地の中を見物しながら歩くのはわかる。ところがその上、どこでも駐車場から観光地の入口までけっこう歩かされたのが大きい。時間もその分余計にかかって、見物の時間が少なくなっている。
 観光バスの乗降をこんなに厳しく規制しているのに、自家用車がけっこう中まで入っていたりする。詳しい事情も知らずに外国人が勝手なことを言ってもいけないが、排ガス減少のためにももっと自家用車を規制して、バスはゆるやかにしろと言いたくなった。

 河坊街からホテル(浙江梅地亞(めでぃあ)賓館)へ行くとき、そのバスの乗降規制に関して、おもしろい出来事があった。
 前に書いたように、河坊街へ入るのに、バスは坂の上の駐車場に停めて、そこから歩いてきた。帰りはその坂を登らなければならない。高齢で足腰に問題がないとは言えない両先生にこれ以上無理はさせられない
 ガイドのSさんが、商店街入口前の交番で交渉した。この二人にこの坂は登れない。特別にここでバスに乗るのを認めてくれと。S田先生は腰が少し曲がっていて、F田先生も杖をついている。(ずっと「高齢」とだけ言っているが、お二人の歳は「アラエイティ」で、わたしのように古稀になったばかりは漢詩連盟の中ではまだ「若手」なのだ。)
 その姿に加えて、Sさんもがんばってくれたのだろう。OKが出て、しばし両先生を交番に預けて、われわれはバスに乗るため坂を登った。
 その後交番前で無事両先生を救出して、バスの中で話を聞くと、なんと待っている間、若いお巡りさんが「ソーラン節」を歌ってもてなしてくれたそうだ。とても上手でいい声だった。「北国の春」も歌ってくれた。S田先生も一緒にソーラン節を歌ってきたという。
 これも日中文化交流のひとつと言うべきか。S田先生曰く「日本広しといえども、中国の交番でおまわりさんと一緒にソーラン節を歌った男は、そうそういないぞ」

  

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2017年11月30日 (木)

江南8 西湖を歩く1

西湖を歩く

 さてこの日はここからが大変だった。
 例によってバスを停められないからレストランの駐車場に置いていく。目的の浙江省博物館へは、両先生にはタクシーで行っていただくが、その他は歩くことになった。30分ぐらいかかりそうだというが、帰りはみんなタクシーで帰るということで、歩き始めた。
 有名な西湖のほとりの散歩である。景色も道も悪くはなかった。

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 岳王廟の前を通る。岳飛(がくひ)の墓所である。見たかったが、ガイドのSさんはどんどん先へ行ってしまう。ここは予定外であるらしい。

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Dscf6767 近くには岳飛の像も建っていた。岳飛は南宋の武人である。最近は北方謙三の小説『岳飛伝』で日本でも有名なようだ。
 北宋の滅亡後、中国北部は金の支配下にあり、南宋は杭州(臨安)を都としていた。岳飛は金との戦いで何度も戦功を挙げ主戦派の筆頭であったが、宰相の秦檜(しんかい)は金との講和を進め、岳飛を謀殺した。秦檜は毎年大金を金に貢ぐという屈辱的な和議を結んだ。
 岳飛は愛国の英雄とされ、秦檜は売国奴とされる由縁である。岳飛は背に「尽忠報国」の四文字を刺青していたという。
 後生、岳飛廟内には檻に入れられた秦檜夫婦の像が作られ、見物客が唾を吐きかけたり、叩いたりする習いだったそうだ。今は「唾を吐きかけるな」と看板が出ているらしい。
 その秦檜の像も見たかったのだが、かなわなかった。

 西湖の北岸から孤山という小島にある浙江省博物館を目指して歩く。水面に見えるのは蓮。

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 遊覧船が通り過ぎて行く。

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 西湖は中国四大美女の一人西施(せいし)にたとえられる。 蘇軾(そしょく、蘇東坡)の有名な詩がある。

飮湖上初晴後雨二首 蘇軾 

水光瀲灔晴方好

山色空濛雨亦奇

欲把西湖比西子

淡粧濃抹總相宜

 湖上に飲す 初めは晴れ後雨ふる二首   蘇軾 
水光瀲灔(れんえん)として晴れて方に好し
山色空濛として雨も亦奇なり
西湖を把って西子に比せんと欲すれば
淡粧濃抹(たんしょうのうまつ)総べて相宜し

西子西施。春秋時代の越の美人。呉王夫差に愛され呉の滅ぶ一因となった。

 「淡粧濃抹総べて相宜(あいよろ)し」 化粧が薄くても濃くてもすべて美しいということ。
 日本でも芭蕉が「奥の細道」で
  象潟(きさがた) や雨に西施がねぶの花
と詠んでいる。「ねぶの花」は「「眠り」をかけてあって、これは「象潟の雨に濡れたねむの花を見ていると、西施がなやましげに眼を閉じている姿が浮かんでくる」ということだという。
 ちなみに「ひそみにならう」という言葉も、西施が病気になり眉をしかめたのが美しく見えたのを、醜い女が真似をしたことからきているそうだ。主に他人のする通りに自分もすることを謙遜して言う。
 つまり西施は薄化粧でも厚化粧でも、目をつぶっていても、眉をしかめても美人だったというわけだ。是非一度お目にかかりたい。
 ともかく西湖は晴れて好し雨でも好し。この日の西湖もなかなかよかった。

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 蘇軾が杭州の知事時代に作ったという堤防が蘇堤、白居易の知事時代のものが白堤と呼ばれ、現在もあるが、歩いてきたのはそことは違う。

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 やがて浙江省博物館へ着いた。

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Photo 魯迅紀念館でもそうだったが、入館の際、荷物のX線チェックがあった。ガードマンのような人が立ち会っている。高速道路の料金所でも、大型バスは脇へ行ってチェックされていた。中国ではどこもセキュリティチェックが厳しいようだ。 博物館では土器から陶器、青磁の皿だの壺だのをたくさん見た。相当の量があるから、じっくり見ていると時間がかかる。
 わたしは、なんでも鑑定団に出したらいくらぐらいの値段がつくものかぐらいしか考えることがないから、まあ適当に見た。ここでも同行の人たちは熱心に見ていた。

 

 

 

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2017年11月27日 (月)

江南7 霊光菜館

霊光菜館
 昼食は西湖の近くの霊光菜館( 簡体字「灵光菜馆」 )だった。

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 昼間から中華のフルコースという感じで、ずいぶん品数があった。

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 地元の料理がいくつか出た。東坡肉(トンポーロウ)は杭州名物のひとつで、詩人の蘇東坡(蘇軾)が考案したとされる。この後の他の店でもよく出た。
 しかし本場の東坡肉は意外に素っ気ない味で、これなら日本の方がうまいと思われた。わたしはこれが好きなので、ちょっと残念だった。

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 これは叫化鶏(きょうかどり、チャオ・ホア・ジ)。叫化とは物乞いのことで、別名乞食鶏。英語名は”Beggar's Chicken”である。
 その昔、乞食がたまたま鶏を手に入れたが、調理器具がなく泥で鶏を包んで土の中に埋め、その上で焚き火をしたらとてもおいしかったのが始まりだという。
 鶏を蓮の葉でくるんでさらに粘土で全体を包み、丸ごと蒸し焼きにするのだそうだ。これはなかなかいけた。

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