板東三十三カ所

2015年3月30日 (月)

お礼参り 北向観音

 次は上田市北向観音(きたむきかんのん)です。ここは近所にある天台宗常楽寺というお寺の観音堂です。
 わたしは、お礼参りに行くところだと聞くまで、ここのことを知りませんでした。あまり有名なところではありません。このツアーを電話で申し込んだとき、出た女性が「はい『善光寺とホッコーカンノン』ですね」と答えました。旅行会社の社員がちゃんと読めないくらいです。まさか業界用語では「ホッコー」と言っているわけでもないでしょう。
 そのあまり有名でないところへ、なぜお礼参りに行くのかというと、善光寺と対(つい)になっているからだそうです。善光寺の本尊は南向きで、ここの観音様は北斗七星信仰の関係で北向きなので向かい合っている。善光寺は来世の利益、観音様は現世の利益をもたらす。善光寺だけでは「片参り」になる、「両参り」しなければいけない、というのです。
 なんとみごとなマーケティングではありませんか。感心しました。巡礼を終えたら、そのお礼に行くべきである。そしてお礼に行くならこちらも行かないと――きちんと顧客に説明してより一層の充足感を与えながら市場を拡げています。しかし、観音様も商売がうまいなあ、などとお礼参りのときに考えていてはいけません。

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 別所温泉という温泉町にあります。土産物屋がいくつか並んでいる通りを曲がると、短い門前町のような通りがありました。突当りの階段を登ったところが北向観音です。

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 温泉だけあって、この手水場には温泉がひかれていました。あたたかい手水ははじめてです。

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 仁王門などはなく、すぐに観音堂です。

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 これでようやく巡礼が終わりました。安堵感にバスの疲れも加わって、この後はなんとくぼんやりしていました。小さなお堂などもあったのですが、写真も撮りませんでした。
 境内から見えたこの山は美ヶ原方面ではないかと思います。

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 帰り道の川端には「慈覚大師之湯」という飲用温泉があったので、一口飲んできました。

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 ご詠歌は、

いくばくの 人の心を 澄ますらん

北向山の峰の松風Photo_3

 横浜の自宅へ着いたのは夜の9時半くらいでした。最近、首都圏中央連絡自動車道圏央道)で埼玉方面と神奈川県の厚木方面がつながって便利になりました。都心を通らないので距離的にも近いし、今のところ混んでいないので、思っていたよりずっと早く帰れました。

 これでわたしの坂東三十三カ所観音巡礼記もおわりです。
 最後まで読んでくださった方、どうもありがとうございました。
 巡礼をおえてもいまだ悟りの境地は遠く、後悔と煩悶の日々ですが、煩悩即菩提であります。色即是空空即是色、この歳になったら焦ってもしょうがありません。

 南無大慈大悲観世音菩薩      合掌

 

 

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2015年3月26日 (木)

お礼参り 善光寺2

 バスツアーの一行は、もう12時半をすぎているので昼食です。

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 仲見世をはさんで宿坊がたくさん並んでいる通りがあります。
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 その中の常智院という宿坊でした。

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 宿坊ですから精進料理です。
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 昼食後は自由行動です。まず仁王門まで行きました。

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 高村光雲米原雲海の合作だという大きな仁王像がありますが、金網のせいで見えにくい。こういう見えにくい仁王様が多いような気がします。守らなければならないのはわかりますが、見やすい工夫はなにかないものでしょうか。

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 これが仲見世です。平日ですがそれなりににぎやかです。七味唐辛子と野沢菜を買いました。

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 仲見世を通って山門へ行くのが通常の参詣コースです。

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 山門の額は、「善」 に二羽、「光」に二羽、「寺」に一羽、計五羽の鳩形が隠れているので「鳩字の額」と呼ばれているそうです。「善」の字は牛の顔にも見えます。「牛にひかれて善光寺参り」です。.

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 この鳩字の説明のとき、案内人さんが、鎌倉鶴岡八幡宮の額にも鳩がいる、だから鳩サブレが名物なんだよ、と言いました。帰ってから写真を見てみると、なるほどそうでした。もう30年以上初詣に通っているのに、善光寺で教えられるとは、うかつでした。

Dscf9644_3              (鶴岡八幡宮の額)

 山門へ登ってみました。有料(500円)です。

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 ずっと長野市街が見下ろせました。

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 左手に見えるのは菅平です。

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 上で山門をぐるりと一回りできるものと思っていたら、回廊へは出られず、開かれていたのは一方向だけでした。せっかくの展望を、残念でした。

 あとは集合時間まで境内をぶらぶらしました。見る所はたくさんありますが、団体旅行で次の予定があります。そうそうゆっくりもできません。
 これは六地蔵

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 裏の方のあまり人が来ないところに、こんなものもありました。これも「牛にひかれて…」ですね。森永乳業寄贈の「乳牛親子の像」です。
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 ご詠歌は、

身はこゝに 心は信濃の善光寺

みちびき給え 弥陀の浄土へ

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 お札と宝印牛王剣印の木版印護符)もいただきました。  

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2015年3月23日 (月)

お礼参り 善光寺1

 2015年(平成27年)3月17日、長野善光寺へお礼参りに行っできました。お礼参りというと、ヤクザなどの報復をまず思い浮かべてしまうけれど、念願がかなったお礼に神仏に詣でるのが、お礼参りの本義です。わたしが行ったのは坂東三十三カ所ですが、西国三十三カ所も秩父三十四観音も、念願の巡礼を無事果たしたお礼に善光寺へ行くことになっています。
 善光寺に、無事巡礼ができますようにと願をかけて始めるわけでもないのに、どうしてみんなお礼に行くようになったのかは、よくわかりません。西国三十三カ所の最後が岐阜県谷汲山華厳寺(たにぐみさんけごんじ)なので、せっかくここまで来たんだから、有名な信濃の善光寺まで足をのばして帰ろう、というあたりから始まったという話もあるようです。江戸へ帰る人にとっては、ちょっと遠回りするだけという感覚だったのかもしれません。善光寺が八宗兼学で無宗派の寺だというのも、まとめにはちょうどいいのかもしれません。
 ともかく今では、お礼参りは善光寺ということになっています。そして、善光寺と対(つい)になっているからと、上田市北向観音(きたむきかんのん)へも行くことになっています。行くことになっていると言われると、行かないとせっかく達成した三十三カ所巡礼の値打ちが下がるような気がして、行ってこようかとなります。お礼に行くわけですから、ここで善光寺も商売がうまい、などと言ってはいけません。

Photo_4 横浜から長野は遠い。バスは朝の6時30分に横浜駅西口を出発し、途中、関越自動車道の高坂(たかさか)サービスエリア(埼玉県東松山市)と上信越自動車道の東部湯の丸サービスエリア(長野県東御(とうみ)市)の二カ所で休憩しました。
 東部湯の丸SAから見えた山は、地図を見ると浅間山の西にある湯の丸山のようです。
 ずっとバスの中は疲れます。それでも浅間山が見えたり、北アルプスの山々が見えてきたりすると、ちょっとうれしくなって気が紛れます。しかしバスの通路側の座席だったので写真までは撮れませんでした。

 善光寺へ着いたのは、11時15分頃でした。五時間近くかかったことになります。駐車場の側に三重の塔がありました。
 善光寺には40年くらい前に来たことがあるはずですが、何も思い出すことはありませんでした。

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 この塔は「日本忠霊殿」で、「戊辰戦争から第二次世界大戦に至るまで、240万余柱の戦病没者の英霊を祀る仏式霊廟」だそうです。つまり仏式の靖国神社であり、「善光寺史料館」でもあります。

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 ここでおつとめをし、お寺の案内人の方から説明を聞きました。この方が、善光寺のちょっとした名物になっている方だそうで、独特の口調とことばづかいに、ときどきギャグをはさんで縁起などの話をされ、かなり受けていました。ギャグを思いだして書こうと思ったのですが、出て来ません。話の内容もうまく思いだせない。出てくるのは「~になっとんです。」「~だよ。」「~じゃない?」という癖のある語尾ばかりです。これがわたしの脳に一番強い印象を与えたらしい。ともかくしっかり芸風が確立している方でした。

 本堂には側面の方から行きました。ずいぶん大きな建物です。高さ約27メートル、間口約24メートル、奥行約53メートルだそうです。

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 こちらが正面です。本堂は何度か火事にあっていて、現在の建物は宝永四年(1707年)に再建されたもので、国宝です。さすがに立派なものです。

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Photo_4 本堂の内陣には有名な「戒壇巡り」があります。床下の真っ暗な回廊を巡って、「極楽の錠前」に触れると極楽往生できるというものです。有料(500円)です。
 薄暗い階段を降りて曲がっていくとすぐ真っ暗になります。ほんとに何も見えません。右手を壁にくっつけてそろそろと歩いて行きます。45メートルくらいだそうで、けっこう長い。それに曲がって行くところもあるので、一人だとかなり恐そうですが、団体なので、「あ!」とか「お!」という声が聞こえ、早めに歩くとすぐ前の人にぶつかったりするので、あまり恐くはありませんでした。
 極楽の錠前は、秘仏である本尊の真下にあって、本尊の手と紐でつながっているそうです。真っ暗なせいかどのくらいの時間だったのかよくわかりませんが、そのうち無事に極楽の錠前――感触では木(?)でできたコの字型の把手のようなものに触れることができ、わたしの極楽往生は約束されました。わたしよりちょっと後の人が「おい、どこだどこだ」としばらく騒いでいました。前の人が「あ、あった!」と安心の言葉をつぶやいて先へ進んで行くのに、自分だけ見つからないと、さすがに焦るようです。ひとりだけ地獄へ落ちるのはいやだ。

 本堂の前には山門(三門)があります。これも大きく立派なものです。本来は仁王門から入って仲見世をぬけ、山門をくぐって本堂へ、というのが順路ですが、駐車場が本堂の脇だったので、逆にたどることになりました。

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2015年2月26日 (木)

第三十三番 那古寺 結願

 九十九里に近いいすみ市から館山まで、海岸沿いを行くのかと思っていたら、バスは行きに通ってきた圏央道をそのまま木更津まで戻って、館山自動車道へ入りました。海岸沿いの一般道路だと眺めはいいけれど、ずいぶん時間がかかったことでしょう。高速道路は早い。12時頃にはもう館山へ着いて、「漁師料理たてやま」へ入りました。
 南無谷にいるとき、ちょっとした買物には館山まで来ています。その買物先のひとつの大きなホームセンターのすぐ近くで、入ったことはありませんでしたが、前を通るたびに「30センチの大エビ天丼」という看板が気になっていました。

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 われわれ一行を含め観光バス4台がいっせいに昼食休憩にやってきて、食堂内はまさにわんわんと音が響く盛況でした。味噌汁や茶椀むしがぬるかったのは、それだけの量をいっせいに出すために前から準備しなければならなかったせいでしょう。われわれが一番遅かったので、食べ終わった頃にはほとんど他の客はいなくなって静かになっていたのが、なにか不思議でした。
 残念ながら昼食は大エビ天丼ではなく、すし定食でした。このあたりでは、魚は繊細に料理するものではなく、新鮮で大量が売り物です。

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 さていよいよ三十三番札所、千葉県館山市の補陀洛山那古寺(ふだらくさんなごじ、那古観音) へ向かいます。前回の地図を見てもらうとわかりますが、南無谷のすぐ近くです。だから南無谷へ来はじめた頃、周辺見物のひとつとして来たことがあり、巡礼をはじめてすぐにも来ました(→第三十三番 那古寺)。なんとなくなじみのあるような感じで、改まって参拝でもないような気もしますが、何と言っても今日は三十三カ所巡礼結願の日です。
 それに、そもそも巡礼をやってみようかと思いたったのは、この那古寺が、三十三カ所の最後の札所になっていると知ったことからでした。(→板東三十三カ所巡礼
 バスが出発してしばらくしてから、先達さんがこう言いました。、
「みなさんの納経帳を見せてもらったら、一番長い人は、五年ほどかけて今日の結願を迎えていらっしゃいます。」
 ほうー、感心な人もいるんだな、と思ったあと、ひょっとすると、それってわたしのことじゃないかと気がつきました。第一番の杉本寺へ行ったのが平成22年(2010)6月ですから、五年近くになります。
 その後、神奈川県内の近いところは行ったものの、遠いところはそのままになっていたのを、地元発のバスツアーができたのを幸い、適当にぽつりぽつりとまた出掛けるようになりました。のんびりと年に一、二回行けばいいやとかまえていました。それが地元発がなくなるというので、昨年末から急遽追い込みにかかって、地元発最後の結願ツアーになんとか間に合わせたところでした。
 感心するほどのことではありませんが、あれから五年かかったんだと、あらためて思いました。
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 境内は、あちこち工事中だったので、仁王門、多宝塔は前回(→第三十三番 那古寺)の写真をごらんください。

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 本堂の正面は海です。

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 館山湾が目の前に広がっています。靜かなことから「鏡ヶ浦」と呼ばれています。対岸は三浦半島です。もう少し高いところから見ると、南房総と三浦半島がすぐ近いことがよくわかります。昔、この寺は山の上にあったのですが、元禄年間の大地震で全壊し、山の下の現在の位置に移転したものだそうです。
 
 坂東三十三カ所巡礼は、鎌倉時代に起こったとされ、鎌倉を起点として関東一円をまわり、最後に千葉県をめぐって、この那古寺で終わっています。この海のすぐ向こうが三浦半島で、鎌倉へ戻る大きな円が完結するということでしょうか。
 

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 ご詠歌は、

補陀洛は よそにはあらじ 那古の寺
岸うつ浪を 見るにつけても

 この歌について、『観音霊場記』にはこうあります。

愚訥この山の地景を見るに、経説の補陀洛に相似たり。山高く海岸に聳へ、山下は南海の潮にひたり、昼夜に岸打つ浪の音は、梵音海潮音の響きにして、まことに余所に求むべきに非ず。大悲の浄土はこの山なりと、しきりに感信して拝見しき。(p356)

 納経帳には、前回の印の上に「重ね印」と、左上に小さな丸い「結願(けちがん)」の印をいただきました。

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 さてこの那古寺では、結願の人にはこんなものがいただけます。「巡拝畢」は「じゅんぱいおわる」と読みます。「畢」は畢竟の「ヒツ」で、「おわる、おえる=全部もれなくけりをつける」という意味があるそうです。

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 これを和尚さんから、学校の卒業式のように一人ずついただきます。有料(二千円)なのでちょっと考えましたが、この先もう賞状のようなものがもらえることはないだろうからと、わたしもいただいてきました。
 その前に、和尚さんの講話がありました。実は前回のツアーのとき、和尚さんの話は長いので覚悟しておくように先達さんから聞かされていました。一番短いときで四十五分、一時間半かかったこともあるそうです。今回の先達さんも同じようなことを言っていました。
 だからみんな覚悟していたようです。畳に座るのではなく、椅子席が用意されていてよかった。やっぱり一時間かかりました。和尚さん、話をするのが好きでお得意のようですが、風邪が治らないとのことで、苦しそうな咳をしながらの講話で、長時間聞くのはちょっと辛いものがありました。これも修行のうちでしょうか。

 ともかく坂東三十三カ所観音霊場の巡礼を無事終えました。
 信仰心というわけではなく、関東地方一円を見てまわるいい機会だと思ってはじめたことでした。途中バスツアーに乗り換えてからは、まわりをゆっくり見ることはできませんでしたから、関八州にわが足跡の残らぬところはない、とまでは言えませんが、かなり広く見ることができました。中禅寺のような有名なところはもちろん、これまで聞いたことがなかったところ、自分で行こうとは思いもしなかったところへ数多く行くことができました。
 またバスツアーで行くことで、先達さんから作法などいろんなことを教えてもらいました。いっこうに覚えられませんが、「般若心経」を参拝の都度唱えてきました。いまだ悟りの境地にはほど遠いけれど、いい経験でした。
 この勢いで、3月の長野の善光寺へのお礼参りツアーにも申し込みました。参加費はちゃんと振り込みました。

 南無大慈大悲観世音菩薩… 合掌。

 

 

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2015年2月23日 (月)

第三十二番 清水寺

 2015年(平成27)2月6日、とうとう坂東三十三カ所巡礼が完結しました。

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 いよいよ明日が最後の巡礼というときに、バスの添乗員さんから電話がかかってきました。
「あのう、未入金みたいなんですけど…」
 情けない。申込だけして、入金手続きを忘れていたらしい。なお情けないのは、いやそんなことはない筈だと、ムキになって反論してしまったこと。
 ところが調べたら入金した形跡がない。すぐ入金して参加OKにしてもらいましたが、電話の向こうで「また年寄りが勘違いして…」とか言われていたことでしょう。
 しょっちゅう度忘れしているんだから、もっと謙虚にならないといけません。観音巡礼も大詰めだというのに、ちっとも人間ができていません。恥ずかしい。

 平成27年(2015)2月6日、前日は横浜でも雪がちらちらしていて、朝は道路の凍結に注意と言われていましたが、だんだん日が射してきて暖かい日になりました。
 まず千葉県いすみ市岬町音羽山清水寺(おとわさんきよみずでら)へ行きました。京都の清水寺と山号も寺号も同じです。その昔、伝教大師が、京都の清水寺に地形が似ているからとここに庵を結んだのが始まりで、名前もそのままつけられたそうです。
 今回の先達さんは京都から来ているとのことで、昔はそうだったかもしれませんが、今は全然似てません、と何度も言っていました。
 まあ、お寺のある山から見下ろした風景はこうですから、京都に似ていないと言われても無理はありません。

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 山道がけっこうありました。結願前の最後の修行と思って登るようにと、先達さんに言われました。

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 息をきらしながら仁王門へ着きました。奧に赤い四天門が見えます。
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 四天門には風神雷神がいました。

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 本堂です。

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 江戸時代に焼けて、建て直したもので、二百年くらい前のもので古い。しかし先達さんは、二百年ぐらいではまだまだ、と京都人の余裕を見せていました。

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 古い奉納額(絵馬)がいろいろありました。

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 本堂の脇は、ちょっとした斜面になっていますが、清水の舞台とはいいにくい。

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 百体観音堂というのがあって、西国三十三カ所・坂東三十三カ所・秩父三十四カ所の本尊の写しが百体祀られています。昔から百カ所まわることは難しかったので、こういう「写し霊場」があちこちに作られました。百カ所には含まれていないお寺にも、写し霊場があるところがあります。

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 この寺と京都の清水寺、兵庫県加東市の御嶽山清水寺(みたけさんきよみずでら、播州清水寺)を日本三大清水寺というそうです。どこも山があって、涸れない清水があって、坂上田村麻呂にゆかりがあるそうです。
 ただ、「日本三大清水」には異説があって、大阪市天王寺区の清水寺や岩手県花巻市の清水寺もそう称されているようです。 京都の清水は必ず入りますが。
 これがここの清水、「千尋の池」です。
 

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 ご詠歌は、

濁るとも 千尋の底は 澄みにけり
清水寺に 結ぶ閼伽桶

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2015年2月12日 (木)

第三十番 高蔵寺

 次は木更津市の第三十番札所、平野山高蔵寺(へいやさんこうぞうじ)、高倉観音(たかくらかんのん)です。
 『観音霊場記』(→第十四番弘明寺 ご詠歌)によれば、高倉天皇(在位1168~1179)がこの寺を興隆したので「高倉」と称したが、尊号の字を諱(い)んで「高蔵寺」と書くようになったとあります。高倉天皇といえば、後白河天皇の子で安徳天皇の父、平家物語の時代の天皇です。
 さらに藤原鎌足とも縁があり、ここの観音様のおかげで鎌足が生まれたという伝説もあるそうです。このあたり、木更津市に編入される前は鎌足村(かまたりむら)といいました。
 大化の改新や平家物語で忙しかった人たちが、この寺とどれほどの関わりがあったのかよくわかりませんが、こういう話は、わからないところやありえないところに有難味があるのでしょう。

 仁王門から入ります。古そうで立派です。

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 本堂は、高床式の建物です。

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 正面の階段の高さが床の高さで、人が立って楽々入れます。

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 本堂は閉じられていて、本尊は限られたときにしか開帳されないそうですが、床下からなら常時拝観できることになっています。

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 その床下は「観音浄土巡り」になっていて、有料(300円)でした。

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 入って驚きました。地獄・極楽巡りということですが、ともかくやたらと仏像や銅像、置物や掛け軸・絵図の類が並んでいました。閻魔様や鬼はともかく、ビリケンさんに金精様、インド・東南アジア系かと思われる怪しげな神像に、河童などの狐狸妖怪、はてはディズニーの人魚姫まで飾ってありました。
 なんというか、エスニック民芸・骨董店兼秘宝館というと怒られそうですが、ちょっと毒にあてられ、あっけにとられて写真もとりませんでした。またそこら中に賽銭箱が置いてあるのも異様でした。おどろおどろしいのが地獄絵巻だけならいいけれど、極楽まで怪しげな雰囲気が漂っていました。
 正直これはどうかと思ったけれど、こういう摩訶不思議なごった煮が成立するのも、多神教のよさかもしれません。一神教の世界では、原理を研ぎ澄ましていく段階で切り捨てられてしまう魑魅魍魎、妖怪変化の類まで、多神教の世界では、なにかの時には役にたつかもしれないと、なんとなく片隅に残って、それなりの位置を占めている。そういうことだと理解しましょう。最近、一神教の非寛容が、世界を騒がせているときでもあります。八百万の神に合掌。

 肝心のご本尊は、そんなわけで写真を取り損ねたので、パンフに載っていた写真を載せておきます。こんな感じで足元が床下に置かれているので、穴から仰ぎ見ることができるようになっていますが、お顔まではよくわかりませんでした。

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 ご詠歌は、

はるばると 登りて拝む 高倉や
富士にうつろう 阿裟婆なるらん

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 これでもう一回、二月のバスツアーに行けば三十三カ所完了です。

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2015年2月 9日 (月)

第三十一番 笠森寺

 2015年(平成27)1月19日に、千葉県長生郡長南町(ちょうせいぐんちょうなんまち)にある笠森寺(かさもりじ)と、千葉県木更津市(きさらづし)にある高蔵寺(こうぞうじ)へ行ってきました。
 今回はバスツアーではなく、自前の、先日買い替えたばかりのタントで行きました。アクアラインで木更津へ行って、ちょっと遠回りですが、南無谷行きを兼ねることにしました。
 この二カ寺へ行けば、2月のバスツアーで、いよいよ結願(けちがん)を迎えることができます。

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 長南町の第三十一番札所、大悲山笠森寺(だいひざんかさもりじ)から行きました。
 ここは電車で行こうと思って調べたら、電車・バスの乗り継ぎが大変なので、車にしました。ちょっとした山の中で、一帯は県立の自然公園になっていて、笠森寺自然林に囲まれています。
 駐車場から、こんな階段を登っていかなければなりません。今回は、うちの奥さんに無理につきあってもらったのですが、足と腰の問題で、いきなりここで待機してもらうことになりました。

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 この階段がけっこうありました。うちの奥さんにはやっぱり無理でした。

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 自然林ということで、大木、名木もあります。

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 登った先にあるのが二天門。奧に本堂が見えます。

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 その本堂は、さらに高い小山の上に建っています。岩肌に何本もの長い柱を立て、その上にお堂がのっています。「四方懸造(しほうかけづくり)」というそうです。

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 さらに急な階段を登らなければなりません。

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 いただいたパンフレットには、二代目広重の「諸国名所百景 上総笠森寺岩作り観音」 という浮世絵がありました。階段部分が実物よりちょっと長いかな、という気がしますが、気分はこのとおりです。

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 横から見上げると、こうなっています。この作り方を「四方懸崖作り」と書いてある本もありました。なるほど、きっと菊の「懸崖作り」はここからきたのでしょう。

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 登った本堂前の回廊です。

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 かなり遠くまで見晴らすことができましたが、土地勘がないので、どちらがどこ方面なのか、いまいちわかりませんでした。

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 ご詠歌は、

日はくるる 雨はふる野の 道すがら
かかる旅路を たのむかさもり

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2015年2月 2日 (月)

第二十七番 円福寺

 昼食の後は銚子市の第二十七番札所、飯沼山円福寺(いいぬまさんえんぷくじ)飯沼観音です。
 銚子というとまず漁港ですが、町は、この円福寺の門前町として発展したものだそうです。だから広大な敷地がありましたが、太平洋戦争で銚子も空襲にあい、寺の建物は一部を残して焼失しました。戦後、町を再建する時に、大きな道路が寺の敷地を分断してしまい、現在は本堂・飯沼観音エリアと本坊・大師堂エリアに分かれています。
 バスの駐車場は、本坊・大師堂の方にありました。これが大師堂です。

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 観音堂(本堂)へは、少し歩いて道路を渡って行かなければなりません。
 これが入口の仁王門。大きく立派です。

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 本堂(観音堂)の階段の脇には大仏様もあります。ここは戦後に再建された建物ばかりなので、まだ風格はありませんが、みな大きく頑丈そうです。

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 階段を登ったところには、左右に醤油の一斗缶がピラミッド状に積み上げられていました。右はヤマサ醤油、左はヒゲタ醤油の看板がありました。酒の薦被りの代わりに醤油が置いてあるのは初めて見ました。銚子は醤油の産地でもあります。

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 本堂は高いところにあるので、漁港の方を見晴らすことができすが、細かいところまではよくわかりません。境内には平成になってから建てられた、まだ新しい五重塔もありました。

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 また道路を渡って駐車場へ戻りながら、銚子のような町まで空襲したアメリカの意図について考えてしまいました。銚子は、東京(首都)への食料供給の重要拠点だからと、1945年7月に空襲されたそうです。
 銚子にかぎらず、全国の、地方のちょっとした都市にまで空襲の被害がありました。200以上の都市が空襲されたそうです。戦争の帰趨がだいたい決まったころ、非戦闘員に大きな被害が及ぶことも承知の上です。徹底的に日本を痛めつけてやろうという、当時のアメリカの強固な意志を感じます。自分のところがやられたからといって、9・11ぐらいで騒ぐんじゃないよ、と言いたくもなりますが、観音様のお参りに来て、あんまり物騒なことを考えていてはいけません。

 空襲のことはおいといて、駐車場の先の銚子電鉄の「観音駅」へ行きました。江ノ電のように、民家の庭先を走っているそうです。残念ながら電車は見られませんでした。

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 なんとこの駅は「たい焼き」が有名なのだそうです。

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 「たい焼き」と「ぬれ煎餅」を買いました。「たい焼き」はあんこたっぷりでしたが、土産に持ち帰るより、その場で焼きたてを食べるべきでした。「ぬれ煎餅」は醤油がきいていて、おいしかった。

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 ご詠歌は、

このほどは よろずのことを 飯沼に
きくもならはぬ 波の音かな

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 アクアラインを通って帰り、途中「海ほたる」で休憩でした。夕方五時半くらいですが、もうすっかり暗く、エスカレーターはイルミネーションきらきらでした。

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 これで行ってないところは三カ寺になりました。結願のためもう一度行かないといけない那古寺を入れて残るは四カ寺です。もうひとふんばりです。

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2015年1月29日 (木)

潮来

 龍正院のあとは、潮来で昼食となりました。潮来へ行くとは思ってもいなかったけれど、地図を見てみると、なるほど、ちょっとだけ回り道をすれば、銚子円福寺へ行く途中にあります。
 それから地図を見てわかるのは、銚子の周辺は高速道路が通ってないということ。銚子は、はずれといっても千葉県だからすぐ行けるんじゃないかと思っていたけれど、予想外に時間がかかりました。一般道路と高速道路のちがいです。「銚子連絡道路の早期建設を!」という看板をあちこちで見かけました。

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 潮来と言えば当然、「潮来の伊太郎」に「潮来花嫁さん」だと、わたしなどは思います。他の客も当然知っていると思われる歳ばかりですが、添乗員さんだけは「昔、そういう歌が流行ったそうですね」と言いました。それくらいの歳の差でした。
 潮来花嫁さんが船で行く、用水路のような観光名所も、例によって通り過ぎるだけです。でも、バスの窓から小さな川を眺めるだけで、おまけがひとつついてきたような気がします。あやめ園もまだ緑がちょっとだけで、畑のようにしか見えませんでした。
 

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 昼食会場はホテルですが、閑散としていて、他に客はいないようでした。

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 結婚披露宴の会場のようなところが昼食会場でした。他にもいくつかこんな部屋があるようでしたが、やはり他の客は見えません。

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 今日は銚子まで行くんだから、活きのいい刺身定食かと内心思っていたのですが、海まで行く途中で、川魚の鯉の洗いがメインの弁当でした。ちょっと苦手です。ここのは生臭くなくておいしいということで、歯ごたえも悪くはなかったのですが、苦手感を克服するところまでは行きませんでした。わたしは辛抱強いので、これがなくても我慢できます。

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 食後、売店といっても机の上に名産品を少し並べただけのところで、他の客が従業員の方と話をしているのを漏れ聞きました。
 それによると、このあたり茨城県南部では、子供の七五三に派手な披露宴をやるのだそうです。親戚や近所の人などを招待し、結婚式と同じように披露宴をやる。もちろん祝儀も同じようにやりとりし、引き出物も出す。披露宴の途中で子供が和服から洋装に着替える「お色直し」まであるそうです。
 経費は祖父祖母側が主に負担するらしい。このホテルにとっても、七五三は結婚式と並ぶ重要な収入源だそうです。この風習は、よくテレビでも取り上げられているとのことでしたが、知らなかったのでちょっと驚きました。

 さすがに利根川は大きく立派な川でした。これはホテルの近くの北利根川(常陸利根川)で、霞ヶ浦から流れてきています。ちなみに潮来はこの川の北側ですから茨城県で、川を渡ると千葉県です。

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2015年1月26日 (月)

第二十八番 龍正院

 浅草寺の次は、千葉県成田市にある第二十八番札所、滑河山龍正院(なめかわさん・りゅうしょういん)、滑河観音(なめかわかんのん)です。
 茅葺きで大きな注連縄をつけた仁王門を入ります。立派なものです。

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 この注連縄は龍をあらわしたもので、龍の足として蔦だか木の枝だかが下についているので、上手にくぐらないと帽子をひっかけます。

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 ここの仁王様は、その昔、門前の火事が寺に迫ってくるのを大団扇であおぎ返して防いだという伝説があるそうです。古いけれど強そうです。

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 本堂です。

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 欄間の彫刻や天井の絵もなかなかです。

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 境内には根元から分かれた大きな松の木(夫婦松)があり、側に芭蕉の句碑もありました。
 芭蕉の句は、観音のいらか見やりつ華の雲、というものです。芭蕉が、特にここの観音様を詠んだというものではないようです。

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 このお寺では、お下がりの餅をいただきました。ありがとうございます。後日、うちの奥さんがかき餅にしてくれました。

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 ご詠歌は、

音にきく 滑河寺の 朝日ヶ渕(けさがふち)
あみ衣(ころも)にて すくふなりけり

 この歌は、次のような伝説に基づいています。

 昔、この地が冷害による飢饉で苦しんでいるとき、小田川の朝日(けさ)が淵にあらわれた老僧が、僧衣を網にして小さな観音像をすくい上げ、領主に与え、「この淵より湧く乳水をなめよ」と教えた。そのお告げのとおりにすると、五穀は実り、人々は救われた。この小さな観音像は後にこの寺の本尊の胎内に納められた。

 浅草寺の本尊も、漁師の網にかかった小さな観音像だというのは有名な話です。仏像が網にかかるというのはよくある話のようで、この次に行った銚子の円福寺もそうでした。

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