芸能鑑賞

2017年3月 9日 (木)

「この世界の片隅に」

 2月28日、アニメ映画「この世界の片隅に」を地元の映画館で見た。
 平日の昼間だったが、「君の名は。」のときよりたくさん、40人ぐらいは入っていた。

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 「君の名は。」のときは、いったいこれはどういう話なのか品定めをするまでに時間がかかったが。これはずっとわかりやすく、そのまますっと映画の世界に入っていけた。

簡単なあらすじ(以下ネタバレ注意)
  広島育ちの主人公すずは、絵を描くのが好きでうまいが、ぼうーっとしたところのあるごく普通の少女。やがて成長して呉へ嫁ぐ。呉は海軍工廠があり戦艦大和などが建造された軍港都市で、夫は海軍軍法会議(=裁判所)の録事(ろくじ=書記)をしていた。
 すずは、炊事、洗濯、繕い物、義父母の世話などにあけくれながら、徐々に嫁ぎ先になじんでいき、ごく普通のささやかながら楽しい生活をおくるようになる。しかしそれとともに戦争が進行して行く。
 出征した兄は戦死し、やがて呉も空襲に襲われるようになる。ある日姪(義姉の子)の手を引いていたすずは、不発弾の爆発により姪を死なせるとともに自分も右手を失ってしまう。
 義姉から子供を死なせたと責められたすずが広島の実家に帰ろうとしていた頃、原爆が投下され、広島の母と父が死亡、妹はケロイドを負う。そして終戦となる。
 やがて焼け跡の広島を訪れたすず夫妻は、たまたま出会った戦災孤児を連れて帰り、新しい生活を始める。

 あらすじだけだと、戦争の悲劇を訴える反戦映画のように見える。しかしそう単純ではない。この映画は戦争反対と声高に訴えたりしない。
 この映画は、当時の日常、すずの普通の生活を細かく描くことに徹している。風景は、多くの資料を参照して当時を忠実に再現しているという。画もきれいだ。
 戦争が激しくなって物資が乏しくなり、空襲にみまわれるようになっても、戦死の公報が隣近所に届くようになっても、日常生活は続いていく。それが普通の、苦しさや悲しみだけでなく、ちょっとした笑いもある生活として続いていく。
 終戦の玉音放送を聞いたすずは、本土決戦じゃなかったのか、まだ左手がある、戦えると怒る。そうだと信じていたから、これまでの戦争の中の日常をみんなで必死に耐えてきたのに、それをいっさい無にされた怒りなのだろう。普通の人間の感覚として十分納得できる。
 当時の日常を描くことで、見る人にあの時代を考えさせる、そういう映画だとわたしは受け取った。

 ある時代の雰囲気を描くのはむつかしい。戦後生まれのわたしは戦争の時代は知らない。この映画の原作者も監督もわたしよりさらに若い(監督:片渕須直1960年、原作者こうの史代1968年生)。親たちの世代からの話や多くの資料などを比較考量することによって、自分なりのイメージを作っていくことになる。
 それが実際にその時代に生きた人々の共感を得られるものになるのはとてもむずかしいことだと思う。特に戦争に関するものについては、映画やテレビドラマについて、実際の戦争はあんなもんじゃなかった、という年長の世代の人たちのつぶやきを何度も聞いている。
 だからこの映画も、体験者には画面がきれいすぎるとか、実感が伴わないものでしかないのかもしれない。しかしわたしにはうなずけるものだった。実際の世界を知らない人間には、知識や想像力を駆使してある世界を作っていくしかない。大勢の人の共感を得られる世界ができていたと思う。いい映画だった。

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 安倍首相とか稲田防衛相のような人たちはこの映画をどう見るのだろう。
 お涙頂戴の軟弱反戦映画と見るのだろうか、あるいはこういう悲劇を繰り返さないように防衛力の強化に努めてまいりますと決意をあらたにするのか。今度は勝ってみせます、ということはなさそうだが。

 

 

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2016年12月19日 (月)

「君の名は。」

 12月8日、地元の映画館で「君の名は。」を見た。
 ポスターを見るだけで、わたしのような高齢者はお呼びでないことはよくわかる。わたしもこのポスターを見ても、見たいという気にはならない。しかし大ヒットしているというので、どんな映画なのか気になって見に行った。

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 なるほど、平日の昼間、いつもなら私と同年配かそれ以上くらいの年齢の客が十数人というところが、三十人ちょっとは入っていて、しかも女子高校生まで含めてけっこう若い人がそこそこいた。
 見る前は宣伝文句などから、単純に東京と田舎の男女高校生の入れ替わり物語で、双方でドタバタがあって、やがて恋が芽生え…みたいな話だろうと思っていた。
 ところが見てみると、基本はそのとおりなのだが、もっとずっと複雑なストーリーになっていて、全体の話を理解できたのは終わり近くになってからだった。

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 (以下ネタバレあり、ご承知を
 はじめのうちは、東京に憧れる田舎の女子高校生三葉(みつは)と東京の男子高校生瀧(たき)が、断続的に入れ替わってしまうことでドタバタを繰り返す。女子高校生は神社の巫女までやっているというカントリーライフで、男子高校生のアーバンライフとは対照的。そして入れ替わりを繰り返す中で徐々にお互いの生活や人となりを知り、やがて惹かれ合うようになる、という想定内の展開である。
 しかし、田舎では祭が行われていて、大きな彗星が大接近した夜以後、二人の入れ替わりは起こらなくなってしまい、瀧は記憶している風景をたよりにあの田舎を探して、三葉に会いに行こうとする。
 ようやくたどりついた場所は、三年前彗星の一部が墜落して住民共々消滅した集落だった……三葉と瀧の間には三年の時間のずれがあった――瀧は三年前の三葉と入れ替わっていたのだった。

 ここがポイントで、わたしは驚き、やられた!これはSFだったんだとようやく気付いた。
 空間も時間も飛び越えて人の意識が交錯し、交流する、そんな話は若い頃読んだSFにはよくあったような気がする。よくあったというと語弊があるかもしれない。そっくり同じような話があったとかいうわけではない。SFのテーマとしてそう珍しいものではなかったと言い直してもいい。
 人間の入れ替わりがそもそもSFなんだから、はじめからSFのつもりで見ればこんな驚きはなかったかもしれないが、高校生の青春純愛ドラマだと思い込んでいたので不意をつかれた。

 瀧は残っていた神社で再び三葉に入れ替わることに成功し、三葉の友人たちと村人たちを避難させようとする。しかし大人たちは言うことを聞いてくれず……あらすじはここまでにしておこう。

 SFなんだと思ってからは、細かいところはともかく、話はよくわかるような気がした。
 田舎の民俗=巫女・伝説などと都会の高校生の生活を対照させ、彗星による大災害―明らかに東日本大震災―を回避しようとする若者たちの奮闘、災害後の人々の結びつき、そして時空を越えての男女の愛。背景にはアニメの美しい風景がたくさん。
 多くの人々の共感を得られるたくさんの要素を盛り込み、入れ替わりや彗星の墜落で、果たして次はどうなるのかと興味を引っ張り、三年の時差というどんでん返しがあって彗星の墜落というクライマックス。さらに月日が経過した後、それらの記憶をすべて失っている二人が出会うという、ちょっと甘いラスト・シーン。
 よく作ってある映画である。 

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 ただわたしは、この映画にいまいち深入りできなかった。全体におとなしいのである。いろんな要素がからんでいてもストーリーの展開にハラハラドキドキ感がない。クライマックスの彗星の墜落シーンにもほとんど驚きはなかった。なんでも波瀾万丈ならいいということではない。描かれている生活や物語に「芯」が欠けているような感じがしたのである。きれいでおとなしく淡々と――「草食系」という言葉が今までよくわからなかったが、こういうのを「草食系」というのかもしれない、と思ったりした。
 映画が大ヒットしているということは、この感覚が広く受け入れられているということで、もう年寄りには理解できないということかもしれない。それもしょうがないか。若い頃、六十、七十の年寄りが時代の先端にあるものを理解できるなどとは思ってもみなかったことだし――

 

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2016年11月 7日 (月)

「後妻業の女」

 映画「後妻業の女」を見た。

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 「後妻業」というのは、金持ちの単身老人男性の後妻に入って、亭主昇天後その遺産をいただくのを業とするということ。長生きされては「業」にならないから、持病のある男が対象としては好ましい。(以下ネタバレあり、注意)

 柏木亨(豊川悦司)の経営する結婚相談所では、高齢の独身男女の出会いパーティを開催し、後妻業の女たちにカモを斡旋していた。中でも武内小夜子(大竹しのぶ)は、結婚した相手の昇天を早めては何回転もしている「後妻業のエース」だった。
 色ぼけ老人になっていた元短大教授(津川雅彦)は、結婚後、小夜子の手にかかって死亡。葬式費用や遺産をめぐって、小夜子を怪しんだ長女(長谷川京子)と次女(尾野真千子)は、次女の同級生の弁護士(松尾諭)に相談する。
 弁護士に調査を依頼された元刑事の私立探偵(永瀬正敏)は、小夜子の結婚歴を調べ、いずれも相手の死因に不審な点があることに気付き、柏木と小夜子を追いつめていく。これに、逆に女から金をまきあげるのが商売のサオ師(笑福亭鶴瓶)や小夜子の不良息子(風間俊介)がからんでいくというのがあらすじ。
 過去の亭主たちとのエピソードが途中でフラッシュバックのように入ったりして、話が散漫でわかりにくい。
 一番盛り上がったのが、大竹しのぶと尾野真千子のつかみ合いの喧嘩のシーン。最後に死んだと思われたた大竹しのぶが復活するシーンも面白かったけれど、これだけ殺人を重ねた犯人を生き返らせて「また次をがんばろう」みたいなハッピーエンドにするには、そこまでの笑いが足りない。
 脇役陣も豪華だし、面白いテーマなので、徹底的に老人をコケにして笑わせるとか、逆に孤独な老人のわびしさ、悲しさ、みじめさを前面に出すとか、いろんなやり方があったのではないかと思うが、消化不良のドタバタ喜劇で終わっている。ちょっと期待はずれだった。
 

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 原作の、黒川博行『後妻業』(文藝春秋、2014)も読んだ。

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 映画が散漫だったのは、原作が散漫だったからかもしれない。こちらは小夜子、結婚相談所の柏木、刑事上がりの探偵、弁護士など複数の視点で話を展開させているが、うまく焦点があっていかない。
 題材はおもしろいのに、一気に読ませるだけの迫力がなかった。こちらもちょっと残念な作品だった。
 なお原作では小夜子は生き返ってこない。

 

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2016年5月30日 (月)

「家族はつらいよ」

 5月20日映画「家族はつらいよ」を見た。

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 山田洋次監督で、「東京家族」と家族の構成は同じ。橋爪功吉行和子の夫婦がメインで西村雅彦夏川結衣が長男夫婦、中嶋朋子林家正蔵が長女夫婦、次男の妻夫木聡の恋人が蒼井優となっている。
 小津安二郎の「東京物語」を現代版にしたのが「東京家族」で、さらにそれを喜劇にしたのが「家族はつらいよ」なので、先の二作を見ているととてもわかりやすい。見ていなくても楽しく笑える。

 モーレツサラリーマンの後、隠退生活をおくっている一家の主人(橋爪)は、昔ながらのワンマンで、脱いだ靴下も片づけないし、妻に優しい言葉などかけたことがない。しかし家族のために必死でがんばってきたことなど、わざわざ言わなくてもみんなわかってくれていると信じていた。
 ところが、誕生日のプレゼントを忘れていたことから妻に欲しいものを聞いてみると、なんと答えは「離婚届」だった。困っているところへ、長女は夫ともめごとが起こって駆け込んで来るし、独身の次男は恋人を紹介しようと家に連れてくる。家族会議を開けば、長男夫婦の間にこれまでの不満が噴出してしまうし、果ては主人の浮気の疑いまで発生、とドタバタ大騒動…というのがあらすじ。

 家族それぞれの本音がはしなくも暴露され、言葉の行き違いや感情のすれ違いから抜き差しならないところまで行ってしまいそうになっても、そこは山田洋二の作品なので、最後はきちんと収まるところに収まるのだろうと安心して笑っていられる。笑わせながら観客に家族というものを考えさせる、みんな不完全な人間でそれぞれにエゴがありから、ぶつかったり喧嘩することもあるけれど、なんとかやっていく、やっていけるのが家族なんだよ、ということでしょう。
 このあたり、若い頃なら生ぬるいと感じたところだけれど、程良い加減でまとめられていると感じるのは、やっぱり歳のせいだろうか。

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 登場人物の言葉遣いが、現代の横浜市青葉区の住宅地にしてはちょっと古くさく、丁寧で柔らかい。小津安二郎の映画のようだったけれど、違和感は感じず、これも歳のせいだろうが、逆に落ち着いて感じられた。だから修羅場で飛び交う言葉も笑って聞けた。これをリアルにやったら、ずっと下品でいやな感じになっただろう。
 話のつなぎの場面では、何かにぶつかる、つまずく、階段を踏み外す、物を落とすなどの古典的なギャグが多用される。寅さん映画でもそうだった。これも若い頃はマンネリだ、古いと感じていたものだった。それが今では、これは定番のくすぐりの技として評価していいと思うくらいになった。昔から奇をてらっただけのあざといギャグは嫌いだったけれど、歳とともに映画の見方も変わるものだ。進歩か退行か知らないが。

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2016年2月29日 (月)

「母と暮らせば」

 2月16日、映画「母と暮らせば」を見た。山田洋次監督、吉永小百合主演。

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 井上ひさしに「父と暮らせば」という戯曲があって(映画にもなっている)、広島が舞台で、原爆で死んだ父親が幽霊になって、一人暮らしの娘を訪れるという話だった。
 実は井上ひさしは、「父と暮らせば」と対になる「母と暮らせば」という作品を、長崎を舞台にして作りたいと言っていたとのことで、それを聞いた山田洋次が脚本から作り上げたという。
 なるほど舞台は長崎で、今度は死んだ息子が幽霊となって、一人暮らしの母を訪れる設定になっている。 

 原爆がテーマで母物ときたら、これは泣くしかない。その昔「三倍泣けます」が宣伝文句の母物映画があったそうだが、この映画もきちんと泣ける。わたしも泣いてきた。
 医学生だった息子を原爆で亡くした母のもとを、息子の恋人だった娘がしばしば訪れ、かいがいしく面倒を見ていた。そこへ息子の亡霊が現れ、母と楽しかった過去を回想しながら、今は小学校の先生になった娘を見守っていると、やがて娘には新しい恋のきざしが感じられるようになった。
 しかし自分だけ原爆から生き残ったという罪悪感から、恋なんかしない、結婚なんかしないと将来を閉ざそうとする娘に、母は新しい道を歩むようすすめる。恋人の心が自分から離れていくのが辛い息子の亡霊にも、娘の幸せのためだからとなぐさめる。
 そう言い聞かせながら母は、一方で「どうしてあんたが助かって、うちの息子は死ななければならなかったの」という思いを娘にももらさずにはいられない。
 この他にも、兄の戦死の場面、娘が教え子を連れてその子の父親の戦死の通知を受けとりに行く場面など、泣かせる場面がいっぱいだ。

  それでも映画全体が暗くならないのは、息子役の二宮和也がいかにも軽くて明るいからだ。この場合の「軽い」はけなし言葉ではなく、ほめている。井上ひさしの舞台を意識したのか、息子と母の対話の場面が多いので、これが重くなると全体が暗くなるところを、軽妙に話を運びながら、重いテーマをうまく引き出している。
 だから観客は提示される悲劇的な状況で素直に泣いて、素直にカタルシスを得られる。山田洋次らしい映画だ。
 ただ、最後に病気で母が死んで息子の元へ行って、話がきれいに終わってしまうと、これだけのテーマがみんな片付いたような気になって、あまり心に残らないような気がした。映画館を出るときに、もっと心に波風が残っていてもよかったのではないか。

 主演が吉永小百合だからどうしてもこういうおだやかな映画になってしまうのかもしれない。これが樹木希林だったらどんな映画になったか、ちょっと考えた。ゲラゲラ笑いながら、それでいてもっと辛い涙の出る、強烈な、ともかくずっとアクの強い映画になっただろう。

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 井上ひさしの「父と暮らせば」の舞台は、2008年の夏、大船の鎌倉芸術館で見た。(宮沢りえ主演の映画はテレビの再放送で見た)
 そのときの感想をここにも載せておく。

 原爆の被害を訴える芝居というと、なんだか気恥ずかしくなるような左翼系の舞台を想像してしまいますが、井上ひさしの才能は、そんな安直なものはつくりません。客をずっと笑わせながら、それでいて斜に構えるのではなく、まともに原爆の問題に向かわせ、しみじみと情感にも訴えます。わたしも泣きました。

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2015年11月19日 (木)

横浜にぎわい座11月

11月3日、また横浜にぎわい座へ行ってきました。

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 出し物は

前座 笑福亭希光      時うどん
入船亭小辰          悋気の独楽
鏡味よし乃           太神楽
三遊亭圓丸          尻餅

           (中入り)
古今亭今輔               飽食の城
江戸屋子猫          動物ものまね
五明楼玉の輔
        芝浜

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 前座の笑福亭希光(きこう)は鶴光(つるこう)の弟子とのこと。関西だけあって、「時そば」ではなく「時うどん」をやった。前座にしては達者で、けっこう時間をかけてやった。
 上方落語には東京のような二つ目・真打ち制度はないというが、前座は前座で同じなのだろうか。

 入船亭小辰(いりふねていこたつ)の「悋気(りんき)の独楽(こま)」は、ヤキモチ焼きの奥さんが小僧に言いつけて、妾宅へ行く旦那の後をつけさせる話。いまひとつ。

 太神楽(だいかぐら)の鏡味よし乃(かがみよしの)は、国立劇場太神楽教室の出身で、まだ新人らしい。五階茶碗という、顎に棒のようなものを建ててその上に板と茶碗を積み上げていく芸を見せてくれたが、技もしゃべりも教科書どおりに一生懸命やっている段階という感じで、ちょっと花がない。傘回しも同じ。

 三遊亭圓丸の「尻餅」は、大晦日に餅もつけない貧乏所帯が、見栄を張って長屋のみんなに音だけ聞かせようと、いやがるおかみさんのお尻をたたいて餅つき風景を演出するという話。餅をつくときの所作と音が見せ場。

 古今亭今輔といえばわたしくらいの世代だと先代(五代目)の、にぎやかなお婆さんが出てくる新作落語の今輔である。もうどんな話だったかは忘れてしまったが、ラジオでおもしろく聞いた記憶は残っている。
 六代目はまだ若く、東海大学の落研の出身だそうで、マクラでその頃の話が長くかった。「飽食の城」は新作で、戦国時代、兵糧攻めにあった城がちっとも落ちなかったのは、実はお菓子の城だったから、という話。
 お菓子でできていたというネタだけに頼っていて、話のふくらみがない。マクラが長かったのも、これではそんなに長い時間話せないからではないか。

 動物ものまねの江戸屋子猫は現在の江戸屋猫八の息子だそうだ。わたしが子供の頃の「お笑い三人組」の猫八の孫にあたる。お家芸というわけだ。
 動物のものまねの上手下手は、もとの鳴き声をよく知らないと判定できないし、いくらソックリでも、そればかりではすぐ飽きる。子猫は間のしゃべりがうまく、楽しめた。 

 五明楼玉の輔(ごめいろうたまのすけ)もまだ若い。「芝浜」をやりだしたので、もうそんな季節になったかと思った。いまいちと言っては悪いけれど、この話はあんまり有名なので、ちょっとやそっとの話ではなかなか感動できないのだ。

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2015年10月19日 (月)

ジュラシック・ワールド

 9月2日、映画「ジュラシック・ワールド」を見た。「ジュラシック・パーク」シリーズの第4作。

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 第1作の時はCGによる恐竜の動きの迫力に圧倒された。あれからもう二十年以上たち、あの程度のCGはもうあたりまえになっている。今回は3D版だけれど、見たのは地元の映画館なので、普通の画面。それでもやっぱり恐竜の動きには驚かされる。恐竜アクション・スリラー映画として楽しんだ。
 しかしストーリーは、これまでのものと代わり映えしない。原作者のマイケル・クライトンが亡くなってしまったのが惜しまれる。『アンドロメダ病原体』以来、ずっと愛読したSF作家だった。ジュラシック・パークで遺伝子操作や複雑系の話題が出てきたように、次々に科学の先端的な問題が出てきて、わたしのような門外漢は一作ごとに「へえ、そうなの」と驚かされた。最近市場に出てきたウェアラブル・コンピュータも、もうずいぶん前のクライトンの作品に出てきていた。

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 コスタリカの孤島に作られた、ディズニーランドを思い起こさせる世界的な恐竜のテーマパーク「ジュラシック・ワールド」では、客集めのために、遺伝子操作で、より怖いより大きな恐竜を作り続けていた。その結果、ある日作り出された狡猾で凶暴な新恐竜が逃げ出して、テーマパークは大混乱、というのが基本的な話なので新鮮味はない。営利目的でやたら遺伝子を操作することに反対していた飼育員が、飼い慣らしていた恐竜を使ってこれに対抗…と話は展開して、後はアクション・シーンが続く。

 そこそこ面白かったが、もう少しストーリーにひねりがほしかった。遺伝子操作もいいけれど、雨蛙の遺伝子も混ぜたから恐竜に保護色がついて見えなくなったというのは、いかにも安易ではないか。これならなんでも混ぜればいい。改良した恐竜を戦争に使おうという計画がちょっと出てきた。こちらを本線にして「恐竜ウォーズ」も面白かったかもしれない。

 主人公の飼育員の吹き替えを玉木宏がやっていた。いい声だけれど、どうもこの主人公にそぐわないという感じがしてならなかった。
 ディズニーランド風の「ジュラシック・ワールド」の土産物店やレストランなどが立ち並んだ風景がいかにもそれらしかった。中に「寿司」という漢字の看板が出ている建物があって、本当に寿司は世界の食物になったんだなあと感心した。
 そうしたら、最後の大物恐竜同士の対決シーンに、その「寿司」の看板が出てきたのには笑ってしまった。クライマックスの、武蔵と小次郎の決闘と言っていい場面で、背景に「寿司」の看板はないだろう。日本の町でのシーンなら目立たないだろうけれど、コスタリカの町でひとつだけの漢字の看板はよく目立つ。アメリカ人にはエキゾチックな模様に過ぎなくても、日本人の脳裏にははっきり「寿司」が浮かんでくる。

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2015年10月 5日 (月)

横浜にぎわい座

 たまたま、うちの奥さんの友人から切符をいただいて、9月3日ひさしぶりに横浜にぎわい座へ行った。

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 出し物は

前座 林家たま平       初天神
鈴々舎八ゑ馬         代書屋
松旭斎八重子プラスワン  マジック
三遊亭遊之介         湯屋番
桂文月(ふみづき)           転失気(てんしき)
林家正楽           紙切り
桂文楽             試し酒 

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 前座の林家たま平は、林家正蔵の息子だそうだ。短い「初天神」だった。まだ前座は前座、というところ。

 鈴々舎八ゑ馬の「代書屋」は、はじめて桂枝雀の「代書屋」を聞いたときの強烈なおもしろさがまだ記憶に残っているせいか、不満が残った。枝雀は本当におもしろかった。

 松旭斎八重子は、かなりお年をめしたマジシャンで、プラスワンも同じような年格好の男性だった。ひものマジックが中心。

 三遊亭遊之介の「湯屋番」もいまいち。
 会場の中央は某団体の貸し切りで、寄席へは来たことがないような人が多いらしく、どうも笑いのテンポがちょっとずれているような感じだったが、それなりに受けていたのはたしかだ。

 桂文月(ふみづき)の「転失気(てんしき)」は、申し訳ないが、よく覚えていない。

 林家正楽の紙切りは、いつもどおり、出されたお題を即座に切ってみせる。何か題を言ってみたいと思うのだが、いつも気後れして言えない。今回は「オリンピックのエンブレム」を思いついたのだが、とうとう言えないまま終わってしまった。

 桂文楽は、かつての小益(こます)である。テレビで売れてペヤングのソース焼きそばのCMが有名だった。
 テレビで売れている落語家は、マクラでテレビの内幕話をけっこう長い時間やることが多い。だからペヤングの異物混入事件の話でもするかと思っていたが、さらりと昔ペヤングをやっていたと言っただけだった。「文楽」の名跡にペヤングは似合わないからこれでいい。
 「試し酒」は、田舎者の下男が主人の仲間に、おまえは大酒飲みだというが五升飲めるかと言われて、飲んでみせるという話。酒を飲むしぐさと、次第に酔っ払っていくありさま、傍若無人になるせりふなどで笑わせる。このあたりはさすがに年季が入っている。

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 切符をどうもありがとうございました。楽しんできました。

 

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2015年7月 6日 (月)

「駆込み女と駆出し男」

 7月2日、映画「駆込み女と駆出し男」を見てきた。

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 井上ひさしの小説『東慶寺花だより』を原案として作られたもので、男から逃れて東慶寺へ駆け込んだ女たちの物語である。
 医者見習いにして戯作者志望の主人公信次郎が東慶寺の御用宿柏屋を手伝いながら、寺に駆け込む女たちのさまざまな事情や人情に触れ、もめ事や秘密を解き明かしていくという連作短篇集。

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 映画は、短篇集の多くを材料として組み立てながら、小説にはない幕府の権力者鳥井耀蔵に対する抵抗と主人公の恋を主筋として全体をまとめている。
 小説を読んでいないとひとつひとつのエピソードがどういうことなのかわかりにくかったかもしれない。小説を読んでいたわたしは逆に、あれ、こんな話だったっけと思わされるところもあった。井上ひさし「原作」ではなくて、「原案」となっているのは、そういうちょっとした筋の改変があるからか。「東慶寺花だより」の方がいいと思うのに、「駆込み女と駆出し男」という不粋なタイトルにしたのもそうためかもしれない。
 全体としてよくまとまっていて、テンポもよく、楽しめた。主人公信次郎(大泉洋)とキムラ緑子の江戸調長台詞の掛け合いや、随所に出てくる端唄だか小唄だか(わたしには区別がつかない)や、わらべ唄の類も意味はよくわからないけれど、雰囲気があっていい。

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 あっと驚いたのが、主人公の伯父さんにあたる柏屋の「源兵衛」が、実は伯母さんで樹木希林だったこと。無論原作では普通に男だったが、映画では「女」で「源兵衛」という名前で「主(あるじ)」であるという設定になっている。そんなことが? と思いながら、樹木希林が出てくると、そういうこともあったかもしれないという気になってくる。
 「駆込女」には当然、当時の横暴な男に対する女の抵抗という意味があった。映画でも東慶寺内での女だけの集団生活を描き、薙刀の稽古をさせたりして「女の力」を全面に出している(考証的には?だが)。その中で樹木希林はいつのまにか象徴的な存在になってしまっている。不思議な役者だ。 
 前に映画「清須会議」をみたときに、鈴木京香がお歯黒をつけていて、えらいと書いた。この映画では満島ひかりがお歯黒ででてきた。あまり違和感はなく、悪くなかった。これなら今後の時代劇ではお歯黒がそれほど珍しくなくなるかもしれない。
 もうひとりのヒロイン「じょご」を演じていた戸田恵梨香という女優は、名前も顔も知らなかったが、どうもどこかで見たことがあるような気がしてしょうがなかった。最後の方でようやく「すき家」の牛丼のCMではないかと思い当たった。帰って調べてみたらそのとおり。スッキリした。

 お寺の境内の画面がきれいだった。どこかでわたしの知っている東慶寺が出てくるかと思って見ていたが、ほとんどなかった。兵庫県姫路市の書写山円教寺(しょしゃざんえんぎょうじ)で主にロケをしたという。機会があったら姫路城とあわせて行ってみたい。

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 地元の映画館へ入ったとき、三十人くらいの入場者がいて驚いた。いつもは十人くらいだから、これは混んでいると言っていい。この映画、そんなに評判がよかったのか。
 前の週に「龍三と七人の子分たち」を見たときも同じくらいいたが、これはビートたけしの人気だろうと納得がいった。しかし「龍三と七人の子分たち」は残念ながら期待はずれだった。あっと驚くような面白さも、息をつかせぬような面白さもなかった。「駆込み女と駆出し男」の方がずっと面白い。

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 「駆込み女と駆出し男」の客は、いつもどおりわたしと同世代あるいはちょっと上くらいの客がほとんどだが、女性どうしの客が多かったのが特徴だった。いつもはもっと夫婦連れが多い。
 このあたり鎌倉は近いので、みなさん東慶寺になじみがあって見にきたのかとも思う。今さら「駆込寺」に興味があって来たわけではないと思いたい。

 

 

 

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2015年1月15日 (木)

映画「清須会議」

 昨年12月にテレビで放映された映画「清須会議(きよすかいぎ)」を見た。これがとてもおもしろかった。
 清須会議は、天正10年(1582)実際に開かれた、織田信長死後の織田家の後継問題と領地再分配に関する会議である。この会議の後、それまで織田家の重臣筆頭であった柴田勝家の勢力が低下し、明智光秀を討った羽柴秀吉が家中での実権を握るようになった。秀吉が天下取りの第一歩を踏み出した会議で、対立した勝家は、翌年の賤ヶ岳の戦いで秀吉に破れた。

 小説「清須会議」(三谷幸喜(みたにこうき)、幻冬舎文庫、2013)のカバーにはこう書かれている。

信長亡きあと、清須城を舞台に、歴史を動かす心理戦が始まった。 猪突猛進な柴田勝家、用意周到な羽柴秀吉。情と利の間で揺れる、丹羽長秀、池田恒興ら武将たち。 愛憎を抱え、陰でじっと見守る、お市、寧、松姫ら女たち。 キャスティング・ボートを握るのは誰なのか?五日間の攻防を現代語訳で綴る、笑いとドラマに満ちた傑作時代小説。

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 この小説を三谷幸喜自身の監督で映画化したのが映画「清須会議」である。映画を見た後、小説も読んでみた。登場人物の現代語のモノローグで話が展開していく。おもしろいけれど、はじめから舞台化あるいは映画化するつもりで書かれたもののようだ。映画の方がおもしろい。

 軽快なテンポの喜劇として話が進行するので、史実がどうこうという問題ははじめから無視して見られる。なにしろ後継者選びの一環として、リレーの旗取り競争(小説ではイノシシ狩り)が行われたりする。
 基本のストーリーは、愚直で純朴な武人柴田勝家(役所広司)は、狡猾で手練手管にたけた羽柴秀吉(大泉洋)に丸めこまれ、織田家のナンバー2で勝家の親友丹羽長秀(小日向文世)も、織田家の将来や天下の経営を考えたら、そういう点では凡庸な勝家より秀吉に加担せざるをえなくなるという話。これにお市の方(鈴木京香)の秀吉への恨み(夫浅井長政を殺された)と勝家・秀吉二人のお市の方への思慕がからむ。
 冒頭の本能寺から光秀の死へと、テンポよく進行して、ずっと余計な字幕やナレーションは入らないが、状況はよくわかる。
 なにより主だった登場人物のセリフの切れがよく,、明瞭なのが気持ちいい。言っていることがよくわかるというのはあたりまえだけれど、そうではない俳優もけっこういる。主役の役所をはじめ舞台での経験が豊富な役者が多いからだろうか。
 セリフと言えば、なぜか秀吉の妻お寧(中谷美紀)はじめ秀吉の一家だけは名古屋弁でしゃべっていた。(これが尾張出身のわたしが合格を出してもいいくらいのできである。よくがんばりました。)勝家も丹羽長秀もまわりにいた前田利家たち登場人物のほとんどが尾張の出身なんだから、本当はみんな名古屋弁でしゃべっていたはずである。勝家・秀吉あこがれの美女お市の方だって名古屋弁だ。
 それを秀吉一家だけ名古屋弁にすることで、秀吉の成り上がりぶり、庶民性、土着性みたいなものが際だって感じられ、なるほど、そういう演出かと感心した。もっとも全員で名古屋弁をしゃべったら、名古屋周辺以外では話がわからず、全国上映ができなくなる。小説ではみんな標準語でつぶやいている。
 

 キャストが豪華だ。上記人物に加え、池田恒興(佐藤浩市)、織田信長(篠井英介)、織田三十郎=信長の弟(伊勢谷友介)、織田信雄=信長の次男、バカ殿(妻夫木聡)、松姫=信長の長男・信忠の妻(剛力彩芽)、黒田官兵衛(寺島進)、前田利家(浅野忠信)といったところが出演している。

Photo_10     (映画になったので文庫本についた二枚目のカバー)

 織田一族は、メーキャップもあってか、みんな顔立ちがよく似ていた。特に信長の篠井英介が、肖像画の信長に実によく似ていて驚いた。
 女優陣のメーキャップも凄い。お市の方鈴木京香は、眉を剃ってお歯黒をつけて出て来た。これが恐い。お歯黒も見慣れれば「陰翳礼賛」みたいな話になるのかもしれないが、見慣れないので、これで微笑まれると不気味で恐い。よくこの顔で出演した、鈴木京香えらい。
 映画にお歯黒で出演した最後の女優は、黒澤明の「椿三十郎」で家老の奥方役の入江たか子だという話があったが、鈴木京香は記録を更新した。そういえば黒澤の「蜘蛛巣城」の奥方の山田五十鈴もお歯黒をしていて恐かった。
 松姫剛力彩芽は、眉を剃った結果、誰だかわからない顔になってしまったのがおかしい。
 お寧中谷美紀は、逆に眉を太く描いて、名古屋の田舎のおばさんを陽気に演じて、なかなかよかった。

 清洲城のまわりは青々とした田園が広がっていた。あんまり青かったから、あれはCGかもしれないが、その尾張平野の一角にわたしは育った。なんとなくうれしかった。この1月2日には、帰省ついでに、あまり感心していなかったコンクリート造りの清洲城を見に行った。
 というわけで、楽しみどころの多い、おもしろい映画だった。また三谷幸喜の芝居や映画を見てみようと思う。

 

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