鎌倉散歩

2017年1月16日 (月)

初詣2017

 今年は1月10日にようやく初詣でした。鎌倉の鶴岡八幡宮です。

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 古いお札や正月飾りを納めてから参詣です。

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Dscn0074t_3 新しいお札をもらって、おみくじを引いたら、今年はなんと「」が出ました。やれやれ、と思ったらうちの奥さんは「大吉」でした。

  すなほなる幼な心をいつとなく
  忘れはつるが惜しくもあるかな

だそうです。いつまでも幼な心で生きていけるほど人生は甘いもんじゃありませんよ、と八幡様に言ってみたいような気もしますが、正月ですし八幡様にも言い分があることだろうと、ここは押さえておきましょう。
 うちの奥さんの方は

  白雲に羽うちつけてとぶ鶴の
  遙かにひろき世の見ゆる哉

鶴が気持ちよさそうに飛んでいます。なんでこんなに違うんだ。
 しかし凶のくじの個別の項目を見ると、とりたてて騒ぐほどのことは書いてありません。
 「願望」 意外なことに遇うが心配ない
 「病気」 軽いと思うのが失敗のもと
 「事業」 先輩とよく打合せてやりなさい
 まあ普通に暮らしていけば大丈夫のようです。

 八幡様に了解の意をあらわすため、おみくじを近くの枝に結ぼうとしたら、凶・大凶のくじは赤い「凶運みくじ納め箱」に納めてくださいと書いてありました。
 「赤い箱」なんてどこにあるんだ、と思わず声を上げたら、通りがかりの女性が、あちらにありましたよ、とわざわざ教えてくれました。凶運の人だと同情してくれたのかもしれない。
 拝殿の脇の方にありました。こんなものがあったとは今まで気がつきませんでした。

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 上の方に納め方の作法が書いてあります。おみくじを結んで入れたら、箱の上の破魔矢の矢鏑(やかぶら)の部分をつかむと、「凶運」が「吉運」「強運」になるそうです。いつからこんな作法ができたんだ。

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 なにはともあれちゃんと握ってきました。これで八幡様も納得してくれたことでしょう。

 本殿のさらに脇の方にある丸山稲荷にも詣でてきました。

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 ここの参道に並んだ鳥居の一番前に、こんな名前がありました。

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 珍しい名前だから、あの漫画家の「えびす」さんでしょう。ちょうどこの日は10日。「十日戎(えびす)」でおめでたい、ということで写真を載せておきます。

 この後は浄妙寺へも行きました。前に浄妙寺の梅で紹介しましたが、広くてのんびりしていていいところです。

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 もう梅が咲いていました。

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 そして臘梅(ろうばい)。

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 このお寺の参道にはこんな家があります。大きな桜の木のために塀を切りとったようです。

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 桜の季節にまた来てみたくなりました。

 

 

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2016年12月15日 (木)

獅子舞の紅葉

 12月6日(火)は鎌倉の紅葉の名所、獅子舞(ししまい)という谷の紅葉を見に行きました。去年は行くのが遅くなって紅葉がほとんど終わっていました。(→獅子舞の紅葉)だから今年は11月に一度偵察に行って、もう見頃になっているだろうと確信して行きました。

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 鎌倉宮(大塔宮)、永福寺跡を過ぎて住宅地を山へ向かいます。赤い色は見えませんが、十分色づいています。

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 山道は一昨夜降った雨でぬかるんで滑りやすくなっていました。

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 この日は降りてくる人たちにたくさん会いました。もう三時近くになっていたので登りの人はまばらでしたが、さすがに紅葉の名所、にぎわっています。中腹のあたりまで来ると、赤いところが見えてきました。

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 どんどん赤い部分が広がっていきます。

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 写真で見ていたのはもっと鮮やかな紅だったような気もします。今年は寒くなるのが早かったので、ピークをちょっと過ぎてしまったのかもしれません。
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 でもきれいなことは間違いない。今年は獅子舞の紅葉を見たと言っていいでしょう。
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 樹上を見上げます。
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 さらに登っていくと、だんだん紅葉は減っていきます。
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 天園の近くまで登ってきました。

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 これは天園のあたりから眺めた景色です。

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 この後、天園から円海山まで尾根道を歩いて、港南台へと帰りました。
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 円海山へ着いた時にはもう4時15分頃で、夕暮れの富士山が見えました。

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2016年12月12日 (月)

瑞泉寺の紅葉

 海蔵寺の次は瑞泉寺(ずいせんじ)へ行ってみました。総門をくぐると裏山など、紅葉しているのがうかがえます。ここも前に瑞泉寺の梅で紹介しました。

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 山門への階段です。

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 ここが山門。

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 本堂のまわりも色づいています。
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 背の高い皇帝ダリアがところどころで咲いていました。

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 夢窓疎石がつくったというこの庭は、何度見てもわたしにはよくわかりません。

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 禅味はわからなくても秋味がわかればいいことにしましょう。

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 ここは梅が有名で、本堂前の庭も基本は梅林です。

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 間にマンリョウもありました。
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 庭から見下ろす谷。空には鳶が舞っていました。

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 そんなに色鮮やかな木はありませんでしたが、緑の混じった渋さが古いお寺によく合うようです。
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 山の下の梅林は寒々しいけれど、山側に紅葉がありました。
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 この日はこれで納得して帰りました。
  

 

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2016年12月 8日 (木)

海蔵寺の紅葉

 12月5日(月)、天気がよかったので、紅葉を見ようと鎌倉へ行きました。まず海蔵寺へ行ってみました。お寺の入口近くに紅葉のトンネルがありました。いい時期だったようです。

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 これは本堂。建物などは以前海蔵寺の萩海蔵寺の水で紹介したので、細かい説明は省きます。

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 本堂の裏の庭です。裏山は黄葉です。

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 池には庭の紅葉が映っています。

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 鐘楼の前の紅葉がきれいでした。
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 晴れて空は青く、飛行機雲が何本も走っていました。暖かな、いい日でした。
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 最初に見た道路沿いの紅葉が一番紅かったので、戻ってゆっくり見ます。

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 足元にも紅葉がいっぱいです。

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 去年の12月はバタバタしていて見頃をはずしてしまいましたが、今年はまず第一弾から当たりだったようです。

 

 


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2016年11月28日 (月)

大船植物園菊花大会

 11月16日(水)は晴れて風もなく、暖かくて穏やかな日だったので、神奈川県立フラワーセンター大船植物園菊花大会を見に行ってきました。

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 菊の花はいくつかの部門に分かれて、あちこちで展示されていました。

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 素人ですから菊の花の部門と言われてもよくわかりません。

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 これが懸崖であることぐらいしか知りません。

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 こういうのを厚物というそうです。

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 これは管物というらしい。

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 よくわからないけれど、とにかくみんなきれいだったということで、あれこれ写真を出しておきます。

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 これは菊人形みたいなもので、パンダの顔は菊ではありません。
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 これが盆栽であることはわかります。

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 こちらは切花の展示室です。

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 切花の優秀賞。
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 いろんな菊の種類、育て方、鑑賞方法があることがわかりました。

 園内はイチョウの黄葉がきれいでした。

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 赤い方の紅葉はもう少し、ということろです。
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 これはススキではなくパンパス・グラス。
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 小春日和の、いい日でした。
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2016年11月21日 (月)

浄光明寺

 山門を入って右手には不動堂があります。非公開なので、外から古い建物だなあと思うばかりです。

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 その奧の一段高くなったところに仏殿があります。昔はここに本尊の阿弥陀三尊が置かれていたので阿弥陀堂も呼ばれているようです。現在は、三世仏(釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来)が置かれています。(撮影禁止)
 大きな槇の木が前に立っています。
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 こちらが収蔵庫で、「木造阿弥陀如来及脇侍坐像」(国重文)があります。この収蔵庫と、山の上の網引地蔵冷泉為相の墓へ到る道は、木、土、日曜、祝日以外は閉ざされていて、拝観できません。開いているときは案内の人がいて説明してくれます。
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 ここも撮影は禁止なので、永井路子『鎌倉の寺』(保育社カラーブックス、1967)から阿弥陀像を転載します。

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 三メートルくらいある立派な仏像です。もとは金箔がはられていたそうですが、ほとんど剥がれています。衣裳には「土紋」という装飾が貼り付てあります。鎌倉独特の手法で、土を練って型を取り、それを貼り付けたものです。上の写真の衣裳に花の形がたくさんついているのが見えます。
 もうひとつの特徴は、爪が伸びていること。これは上の写真ではわかりにくいけれど、爪が薄く長く伸びています。爪形に削った木片をさしこんで作ってあるらしい。
 案内の人は、ブラタモリは崖の話が中心で仏像には余り興味がなかった、と残念そうでした。一所懸命仏像の説明をしている間、この爪に色でも塗って、楊貴妃の美人祈願にネイル祈願で売り出したら大繁盛するんじゃないかとか、つまらないことを考えてはいけません。このお寺は、あまりそういうことには関心がなさそうです。

 収蔵庫の隣は観音堂で、その奧は切り立った崖になっています。

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 たしかにブラタモリでは、鎌倉石と呼ばれる凝灰質砂岩は柔らかくて細工が容易、しかも耐火性があって便利。切り出してあちこちで使われた。やぐらもあちこちで掘られた、というような話をやっていました。

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 パンフレットの地図には等高線が入っていて、急な崖になっていることがよくわかります。

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Dscf5486 この崖はみな山を削って切り出した崖で、これがブラタモリで取り上げられたわけです。
 客殿から一段上がったところを削って平地にして仏殿に収蔵庫、不動堂があります。さらにその上もう一段平になったところがあって網引地蔵(あみひきじぞう)、一番上は冷泉為相(れいぜいためすけ)の墓です。

 けっこう急な階段を登っていきます。
 上が少し広い平場になっていて、崖にはやぐらがいくつかあります。このやぐらには網引地蔵があります。

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 その昔、由比ヶ浜で漁師の網に引っ掛かって引き上げられたという言い伝えから「網引地蔵(あみひきじぞう)」です。綱引(つなひき)地蔵ではありません、念のため。

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 ここからまたちょっと登ると、冷泉為相(れいぜいためすけ)の墓があります。

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Dscf5296t 冷泉為相藤原定家の孫で為家の子、母は「十六夜日記」の阿仏尼です。
 山門前の道路にある鎌倉町青年団の碑には「藤谷黄門遺蹟」と題して為相のことが書かれています。
 父為家の死後、和歌所のことなどについて兄為氏と争論になり、母阿仏尼と共に鎌倉へ訴訟にやってきた。藤谷に居を定めたので「藤谷殿」と呼ばれた。「藤谷百首」はこの地で為相が詠んだものである。網引地蔵は為相が建立したものであるという。
 というようなことです。藤谷(ふじがやつ)というのは、このあたりのことでしょうか。今は泉が谷と言うようですが、他のところでしょうか。「黄門」は中納言の別称で、為相は従二位中納言でした。

 墓のあたりからは鎌倉の街を見下ろせます。

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 山を降りて、仏殿までもどってその奥へ行くと、いろんなお墓や石塔があります。

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 その中に、明治の神仏分離まで代々鶴岡八幡宮の神主だったという大伴家の墓があります。お墓に鳥居が彫られています。

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 なかなかおもしろいお寺です。

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2016年11月17日 (木)

浄光明寺の楊貴妃観音

 浄光明寺は昨年NHKの「ブラタモリ」で取り上げられました(2015/5/9放送)。そのせいか先日行ってみたら、以前よりは観光客が増えているようでした。それでも有名なお寺に比べれば静かなものですが。

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 山門です。

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 山門を入ってすぐ左は客殿です。
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 客殿の前に楊貴妃観音があります。なんでここで楊貴妃なのかというと、この寺の本山は京都の泉涌寺(せんにゅうじ)で、そちらに有名な楊貴妃観音があり、その模刻が寄進されたものだそうです。

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 泉涌寺の楊貴妃観音は、寛喜二年(1230)中国から招来したもので、玄宗皇帝が亡き楊貴妃の冥福を祈って作らせたという伝説があるそうです。なんでそんなものがわざわざ日本へ来たのか、基本的な疑問が浮かびます。
 ちゃんとした答えはないようですが、それでも泉涌寺の楊貴妃観音は、縁結び、美人祈願に御利益があると、にぎわっているそうです。

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 観音像の脇には白居易の「長恨歌」が掲示してあります。

天生麗質難自棄 天生の麗質自ら棄て難く
一朝選在君王側 一朝選ばれて君王の側に在り
迴眸一笑百媚生 眸を迴(めぐ)らして一笑すれば百媚生ず
六宮粉黛無顏色 六宮の粉黛(ふんたい)顔色無し

というのがこの詩の中で楊貴妃の美貌を形容しているところですが、この像にそれほどの麗質があるかどうか。こんな顔の観音様はあちこちにあったような気がします。
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 いつの世にもあやしげな伝説でもったいをつけて売り出す「知恵者」はいたんだなと、インターネットで楊貴妃関連の記事を見ていたら、なんと楊貴妃が日本にやって来たという伝説まであることを知って驚きました。

 安史の乱で、兵士たちの恨みをかった楊貴妃は、兵士たちに自死をしいられることになったが、死んだと見せかけて逃れ、漂流の末、山口県へ流れ着いて、その後しばらくして死んだというのが、その伝説。
 山口県長門市の二尊院(にそんいん)というお寺には楊貴妃の墓があるそうです。この寺のホームページ(→http://www.k5.dion.ne.jp/~nisonin/index.html )を見てみると、墓の他にも楊貴妃像や隣接地には中国風の「楊貴妃の里」という公園があって、すっかり観光資源になっています。
 また、このお寺があるところがなんと「向津具(むかつく)半島」と言うのだそうです。むろん現代語の「ムカツク」ではなく、「向かつ国」が転じたものだといいます。この地名も、知恵者にかかれば「悪名は無名にまさる」で、売り物になるかもしれません。
 インターネットで調べてみると、むかつくどころか、風光明媚な、とてもよさそうなところです。(→http://www.tabi-magazine.com/report/mukatsuku/
 近くへ行くことがあったら、寄ってみてもいいかもしれません。

 鎌倉の浄光明寺は、美人祈願で売り出そうという気持ちはないようで、この像も片隅に置いてある感じですが、インターネットには「美人祈願」と書いているページがたくさんあります。いつかこの寺のメインになる日が来ないことを祈ります。

 話がそれました。その他の浄光明寺の話はまたこの次に。

 

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2016年10月31日 (月)

鎌倉七口:朝比奈切通

 朝比奈切通は鎌倉から現在の横浜市金沢区六浦へ抜ける道であり、この道は金沢道六浦道などと呼ばれました。六浦は鎌倉の外港であり、北条一族である金沢氏の領地でした。

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 今回は金沢区側から行ってみました。バス道路の案内には「朝夷奈切通」とあります。朝比奈(あさひな)、朝夷奈(あさいな)、どちらも使われていたようです。

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 住宅地の中を抜けて行くとこんな案内があり、道は山の方へ登っていきます。

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 このあたりは「朝夷奈」で統一されているようです。

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 庚申塔のようなものがたくさんありました。
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 頭上を高速道路が通っています。横浜横須賀道路です。
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 すぐ切通の道になります。このあたり小切通(こきりどおし)と呼ばれているようです。

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 垂直に切り出した崖もあります。

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 横浜市側は崖崩れ防止の工事をやっていました。路面に見える青くて丸いものは砂袋で、石ではありません。
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 崖の上の方に「やぐら」が見えます。鎌倉時代の切通はこのやぐらの底部あたりの高さだったという説があります。鎌倉以降少しずつ掘り下げられて現在にいたっているということです。
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 途中、熊野神社へ分岐する道があります。鎌倉の鬼門を守るために頼朝が勧請したという伝承です。ここから歩いて5分ぐらい。ひっそりと厳かな感じのする神社ですが、今回は素通りします。

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 このあたりが坂の頂上で大切通(おおきりどおし)と言われているところのようです。

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 だんだん鎌倉へ向かって下っていきます。

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 このあたりは川が道とちゃんと分離しておらず、石の間に小沿い流れがあり、滑りやすくなっています。ここしばらくは降っていなかったのに、この秋はずいぶん雨が降ったので、山には水のたくわえが相当あるようです。
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 しばらく川床を歩いているような道が続きます。

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 この切通はなかなか風情ある山道で、歩き甲斐もある、いい道です。しかし鎌倉のはずれで、ここまで来るのが面倒なので、あまり観光客は来ません。この日は平日だったので、ほとんどすれ違う人もいませんでした。
 この石地蔵のいわれなどはわかりません。

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 ここはまだ川床の道ですが、下るにつれて、道路脇の川が大きくなっていきます。
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 前方に出口が見えてきました。(鎌倉側から入る場合はここが入口です)

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 出口のところに鎌倉市青年団の碑と「三郎の瀧」があります。碑に「土俗ニ朝夷奈三郎義秀、一夜ノ内ニ切抜タルヲ以テ其名アリト傳ヘラレルモ…」とあるように、この切通は朝比奈三郎が一夜にして太刀で切り抜いたものだという伝説があるのです。
 朝比奈三郎義秀和田義盛の三男で、母は巴御前だと言われ、大力・豪勇をもって聞こえた人物でした。和田一族が執権北条義時と戦った和田合戦でも勇戦奮闘、一族は敗れたが三郎は海路安房へ渡り、さらに高麗まで渡ったという伝説もあるようです。

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 この瀧の水量は季節によってずいぶん違うようですが、今回はどうどうと音を立て、立派なものでした。

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 あとは少し歩くと十二所神社のあたりへ出ます。
 紅葉の頃、少し手応えある散歩にいいところです。

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2016年10月20日 (木)

鎌倉七口:亀ヶ谷坂切通

 鎌倉の扇ガ谷(おうぎがやつ)地区と山ノ内地区を結ぶのが亀ヶ谷坂(かめがやつざか)の切通です。

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 北鎌倉駅のあたりが山ノ内で、その南、鎌倉駅あたりまでの横須賀線沿いが扇ガ谷というところです。
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 山ノ内と扇ガ谷というと、山ノ内上杉氏と扇ガ谷上杉氏が思い浮かびます。
 上杉氏はもとは藤原北家の流れをくむ地下貴族だったが、建長4年(1252)京都から宗尊親王が第6代将軍に即位するため鎌倉へ下向した時に供奉してきて、そのまま鎌倉で武士になったのが始まりだと言われています。
 足利氏と姻戚関係を結んで強力になり、室町時代には関東公方(鎌倉公方)を支える関東管領の家柄として勢力をふるいました。屋敷が山ノ内にあった山ノ内上杉氏が嫡流、扇ガ谷上杉氏が庶流で、一族ですが後には両家に争いも起こり、戦国時代に扇ガ谷上杉は滅びます。山ノ内上杉は長尾景虎に乗っ取られ、景虎が上杉謙信として家督を継ぎます。これが幕末まで続いた上杉家です。系図の話はややこしくてよくわかりません。

 扇ガ谷の方から行くと岩船地蔵堂があります。ここを右へ行きます。

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 少しずつ登っていきます。
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 田中智学獅子王文庫跡という石碑があります。田中智学(ちがく)は、明治から昭和前期に、日蓮主義を唱えて国柱会を結成し、社会運動を展開した人です。「八紘一宇」という言葉は、田中智学が日本書紀から造語したものだそうです。獅子王文庫というのは、運動のための雑誌や本の刊行所で、このあたりにあったらしい。

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 これはマンションへの入口です。
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 勾配がけっこうきついけれど、舗装されているし、それほどの距離でもないので、すぐに乗り越えられます。
 あまりに急坂なので亀がひっくり返った、あるいはあきらめて引き返したから「亀ヶ谷坂」の名前がついたとか言いますが、昔は知らず、現在はたいしたことはありません。横浜の住宅地にはこれよりきつくて長い坂がいくらでもあります。

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 道の両側を見てください。

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 道そのものはきれいに舗装されていますが、この両側の崖は昔の状態がそのまま残っているものだそうです。
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 そのせいでしょうか、国指定史跡になっています。
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 これといって特徴のない道です。
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 やがて左手に長寿寺が見えて、道は巨福呂坂からの道にぶつかります。

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 ついでに書いておくと、源氏の郎党で藤原秀郷の後裔だとい首藤氏が、鎌倉郡山ノ内荘を領して山ノ内を名乗り、山ノ内首藤氏と言われました。これがいわゆる山ノ内氏の本流です。
 戦国武将の山内一豊の姓の正しい呼び方は「やまうち」だそうですが、普通「やまのうち」と呼ばれています。これは、その昔出自に格好つけるために、祖先は山ノ内首藤であると言ったからではないか、と誰かがどこかで書いていました。真偽はわかりません。系図上はやはり山ノ内家の傍流であるということになっているようです。
  

 

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2016年8月29日 (月)

佐助稲荷のキツネたち

 佐助稲荷(さすけいなり)は銭洗弁天のすぐ近くです。

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 山の下に下社があります。

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 下社の前から参道が山へ延びています。

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 赤い鳥居がずっと続いています。

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 鳥居をくぐって登っていきます。
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 これらの鳥居は信者からの寄付によるものです。信者が願をかけるとき、あるいは願がかなったときのお礼のために寄付します。鳥居のひとつひとつに寄進者の名前がついています。
 ぎっしり並んでいますが、ところどころに隙間があいているところもあります。まだまだ建てられます。
 鳥居1基30万円だそうです。幟(のぼり)は一対1万円、一本なら5千円。お守りなどの授与所に貼紙がありました。

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 奥にさらに階段がありました。

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 階段を登り切ったところが拝殿です。
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 30万円の件はまた今度考えるとして、今回はささやかにお賽銭をあげておきます。
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 拝殿の奥にはまだ階段があって、その上が本殿です。
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 これが本殿
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 本殿の前には陶製の小さなキツネたちがぎっしり並んでいます。この神社には、本殿に限らず、あちこちにこのキツネたちがいます。

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 この陶製のキツネは霊孤と呼ばれ、これも願掛けやお礼に供えるもののようです。一対で大が3,000円、中が2,000円、小が1,500円と、これも授与所に書いてありました。
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 境内には小さな古い祠をあつめて陶製の霊孤を並べ、キツネタウンのようになっているところもあります。祠はみんな苔むしています。
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 霊孤泉という湧き水もあります。

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 この看板には「佐助の稲荷山は往古(むかし)より麓の田畑を潤す水源の地なり。生命の基のこの湧水を人々霊狐の神水と称え家々の神棚に供えて稲荷のご神徳を戴くなり。今に至るも絶えず湧き出づる霊狐の泉なり。」とあります。
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 近くには「源十郎弥十郎事(佐助稲荷霊験譚)」という看板もありました。
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 読んでみるとこれがなかなかおもしろい。キツネの恩返しです。

 犬に追われていたところを魚屋の源十郎に助けられたキツネが、その夜源十郎の夢にあらわれて告げた。
 「魚屋をやめて左介谷(さすけがやつ)で、蘿蔔(らふく=ダイコン)を作るといいことがある」
 源十郎はよくわからないまま、左介谷に土地を借りてダイコンをつくった。
 その冬鎌倉中に疫病が流行った。するとある人の夢に神様があらわれて「源十郎がつくったダイコンを食べれば病はたちどころにいえるであろう」と告げた。
 われもわれもとダイコンを買いにやってきた。霊験あらたかだったので次第にダイコンも高くなり、源十郎は富者になって、お礼にこの稲荷神社を建てた。

 子供の頃は素直にこういう話を聞きましたが、歳を取るとついつい、この神様が疫病を流行らせたのではないか、マッチポンプじゃないか、と疑ったりしてしまいます。年寄りのひがみとはいえ、お参りにやってきてこんな邪推をしているようでは、いつまでたっても霊験あらかたとはいかないでしょう。
 この話では源十郎が神社を建てたことになっていますが、社伝によれば、神社の起こりは源頼朝だそうです。
 伊豆に流されていたころ、頼朝の夢枕に「隠れ里の稲荷」があらわれて、打倒平家の挙兵を促した。のち幕府を開いた頼朝は、隠れ里に祠(ほこら)を探し当て、畠山重忠に社殿を再興させた、というものです。
 当時頼朝は右兵衛権佐(うひょうえごんのすけ)だったことから「佐殿(すけどの)」と呼ばれていた。その佐殿を助けたから「佐助」という地名になったという説もあります。

 本殿からさらに山を登っていく道が続いています。源氏山や大仏につながるハイキングコースです。いかにも湿潤な感じのする谷戸です。

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