なむや文庫雑録

2017年4月27日 (木)

正岡子規展

 さて4月21日の本題の神奈川近代文学館正岡子規展

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 年譜などによる経歴の紹介、遺稿・遺品の展示…ということで型どおりの展覧会。

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 病床で書いた『仰臥漫録』の絵がカラフルで印象的だった。わたしの持っている文庫本では挿絵は白黒だったので、こんな色がついているとは思っていなかった。痛みの激しかった死の床で、こんなものを描いていたんだと感心する。
 東京根岸の子規庵へ行ったことは前に書いた。(→ 忘年会は笹乃雪 1 )

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 子規は、司馬遼太郎が『坂の上の雲』の主人公の一人にしたように、明治を代表する青年の一人であった。
 満年齢の三十五歳直前に死ぬという短い生涯にもかかわらず近代文学に大きな影響を与えた。江戸俳諧を「写生」を中心とした近代俳句として革新し、短歌についても王朝和歌の古今集を罵倒して万葉集を称揚し、いずれもそれが時代の風潮になった。

 展覧会の解説にも書いてあったが、子規は最初政治家を志したが、病を得て断念し文学の革新に挑んだ。明治時代は徳川時代を否定し、新しいものをつくろうとした時代だった。その担い手もみな若かった。
 子規も若く、『歌よみに与ふる書』は「貫之(つらゆき)は下手な歌よみにて『古今集』はくだらぬ集に有之候。」といかにも勇ましい。

 この子規の「若さ」がもたらしたものについて、丸谷才一はこう書いている。

子規はわが近代文学の骨格を定めた。この青年兼病人に負ふわが文学の美点はもちろん多いが、しかしまた、とかく幅が狭くなりがちなリアリズム好きも、個人への執着も、何かにつけて大まじめになりがちな青くささも、かなりのところ彼から発している。(『無地のネクタイ』(岩波書店、2013、p26)

 丸谷は子規の功績はきちんと認めている。そのうえで、子規の若さのせいで日本の近代文学はかなり青くさいものになってしまったと歎いているのだ。
 三十四歳で死んだ男に、おまえの考え方が若かったと言ってもはじまるまい。明治の「坂の上の雲」の時代、新しい国をつくろうとしていた時代にふさわしい仕事をしたと言うしかない。ただ、子規が長生きしていたら、どんな俳句や短歌を作ったか。どんな『歌よみに与ふる書』を書いたか。まるで変わらなかったか、それとも円熟とか成熟とか言われるような境地に到っただろうか、興味あるテーマである。

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2017年4月10日 (月)

目黒で墓参り

 3月30日、目黒まで高校時代の友人K君の墓参りに行ってきました。昨年の9月に肺がんで亡くなったということでしたが、奥さんから喪中ハガキが届くまで知らずにいました。驚いて昔の仲間たちと、どうして亡くなった? おまえ知ってたか等々の電話やメールをあわただしく交換しました。他の病気があったのは知っていましたが、こんなに急に亡くなるとはみんな思っていませんでした。
 目黒の安養院という古くからのお寺が作った「ひかり陵苑」という納骨堂がお墓でした。
 写真の奥に見える5階建ての建物が「ひかり陵苑」です。

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 これは門前で帰りに撮った写真。十代での同級生四人。五十年後の今となっては老人会の記念写真です。

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 ひかり陵苑を横から見たところ。

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 この陵苑、首都圏ではテレビコマーシャルもやっています。

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 納骨堂というのコインロッカーのようになっているものを想像しますが、ここのような最新のものは違います。各階にいくつもの参拝用のブース(仕切り)が設けられていて、あらかじめ決められたブースへ参拝します。各ブースは何軒だか何十て軒だかの共同使用です。

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 一階の受け付けで誰々の墓参りだと申し出て指定のブースへ行くまでに、裏側でコンベアーのようなものが動いて骨箱が移動し、表には「○○家」と表示されるようになっています。

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 K君の冥福を祈ります。              合掌

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   わたし以外はこういうお墓は始めてだったようで、ちょっと驚いていました。わたしも何年か前に、大学時代の友人が初めてこういうお墓に入ったときは驚きました。落ち着かない、違和感、子供のころからのお墓のイメージが壊れる―苔むした墓、夜にはお化けが出る―これでは幽霊も出られないじゃないか… しかし、最近ではこれはこれなりに考えられたシステムではないかと思うようになってきました。
 経費のこともありますが、なにより墓守の面倒が違います。わたしたちの年代はまだ家とお寺、お墓とのつきあいのようなものを経験していますが、子供たちはたまに帰省した時に連れて行かれたところでしかありません。お寺と檀家のつきあいなど意識の外です。
 一気に、自分たちからは墓はなし、と決断できればともかく、とりあえずはこういうかたちて繋いでいくのが簡便でいいような気もしてきます。子どもたちが親の墓のことなど心配してくれそうもないので、そろそろ本気で考えないといけません。

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 この安養院というお寺、『江戸名所図会』に載っていました。

臥竜山安養院 能仁寺と号す。同じ所にあり。天台宗にして瀧泉寺に属せり。本尊寝釈迦堂は空誉上人の作なり。当寺は法華読誦、称名念仏の道場なり。(鈴木棠三、朝倉治彦校注『江戸名所図会(三)』角川文庫、1967、p105)

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 上の写真の門が赤丸の門にあたるようです。寝釈迦像は今もあるようですが、今回は見て来ませんでした。

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2017年4月 3日 (月)

森友サーカス

 3月23日(木)は森友学園の籠池理事長の国会証人喚問テレビ中継をずっと見ていた。午前10時からの参議院での喚問を見て、あんまり面白いので午後からの予定を変更して、午後3時からの衆議院での喚問も見た。そのあと余韻を求めて、夜はインターネットのアーカイブで外国人特派員協会での記者会見まで見てしまった。
 古代ローマでは、権力者が市民に「パンとサーカス(見世物)」を提供することで政治の安定をはかったというが、現代日本では国会でサーカスをやっていて、政治が少しばかり不安定になってきた。

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 何がそんなに面白かったのかというと、まず第一に右派(具体的には政権与党+維新)と左派(民進党ほかの野党)の籠池理事に対する立場がそれまでと逆転していたことがあげられる。
 2月上旬に森友学園への国有地払い下げ価格が異常に安かったことが判明した当初は、権力批判につながってしまうからか、大手メディアはなかなか取り上げようとしなかった。しかし幼稚園では特異な愛国教育を行っている、小学校開設の認可過程にも問題がある、理事長は印象的なキャラクターの持ち主であることなどが少しずつ明らかになり、これは視聴率が稼げる、みんなで渡れば怖くないと連日連夜各社から報道されるにいたった。
 ここまでは、右派は森友学園・籠池理事長をかばう姿勢で、教育勅語に問題はない、払い下げは適正に行われた、小学校認可も問題ないという立場だった。それに対し左派は、払い下げ価格や小学校認可手続きにおおいに疑義がある、学園の教育内容にも問題があり、籠池理事長は怪しげな人物であるという立場だった。
 それが23日の喚問では、右派が籠池理事長はインチキだ、詐欺師だと徹底的に叩く方にまわり、左派は、籠池理事長を壊れ物でも扱うように、理事長も大変ですけどがんばって、この際なにかしゃべってくださいね、と教育内容などにはいっさい触れることなくすり寄っていた。双方ともあきれるくらい見事なてのひら返しだった。
 第二に喚問の登場人物にそれぞれにキャラクターがたっていて、見ごたえがあった。
 最初に出てきた自民党議員は大声で理事長を恫喝。安倍さんこんなに叩いてますよ、と見てもらいたいのか。これまで思想的には同志だったんじゃないかと思うのにこんなに居丈高だと、逆に理事長がかわいそうな気がしてくる。
 警察官僚出身だという自民党議員は、ねちねちという感じで責め立てて理事長に「たたみかけて失礼だ」と言わしめた。テレビドラマ「相棒」に出てくる、主人公杉下右京をなんとか排除しようとたくらむキャリア官僚たちを彷彿とさせ、あれはリアリズムだったのかと思わず手をうった。
 維新の議員は恫喝しながら「大阪府知事がはしごをかけてあげたのに、あんたが自分ではしごから落ちたんじゃないか」と、気のきいたことを言ったつもりで、ついついはしごをかけてあげたと言ってしまったのは道化のようなものか。
  理事長の、小学校の申請書類に書類に間違いがあったのなら、受付時に言ってくれればこんなことにはならなかったのに、というのは完全な逆恨みだから維新が怒るのも無理はない。
 他の党が理事長が教員免許を持っていないことを非難していたが、そういえば、免許のない民間人校長がいろいろ問題を起こしたのは維新の大阪だった。人を見る目がないのではないか。
 キャラ不足だったのは民進党。いかにも頼りなく、理事長の機嫌を損じないように、思想や教育内容などには触れもせず、おそるおそる誰かの名前を出してくれないかと聞いていた。証拠になりそうなFAXの話が出てくると、ほんとにこれ出していいですかと大慌て。こんな頼りないキャラではとても政権はとれそうにない。
 主役の籠池理事長は、午前午後の長時間の緊張をしいられる質問に耐えて、おじず臆せず堂々としていた。タフである。怪しい三種類の契約書の話は「刑事刑事訴追の恐れ」で逃れながら、そのほかの質問にはひとつずつ明確に答えていた。
 たまに国会中継のテレビを見ると、質問はまず自分のアピールが中心で、答弁ははぐらかしばかりとちっともかみ合っていない。国会の質問・答弁もこれくらいちゃんとやったらどうかと思うくらいだった。
 契約書の他にも経歴や推薦入学枠の話とか、どう考えても怪しげな人なのだが、それがいつのまにか国家権力に素手で雄々しく立ち向かう個人みたいな立場に立ってしまっている。うまいというか、タフというか、主役にふさわしい怪人物だ。
 それに質問のあちこちには、首相夫人という、いまだ表舞台に登場しないヒロインの姿が見え隠れして、続編での登場が期待されるという筋立てにもなっていた。記憶のあやしい防衛相という露払いもいたし、豪華絢爛である。

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 国有地の払い下げや教育行政が縁故でねじ曲げられているのではないかという主題はきわめてわかりやすい。お代官様と越後屋の「おぬしもワルよのう」という話と同じである。それに首相夫人という彩りまで添えられている。これで盛り上がらないわけがない。
 もっと大事なことがいくらもある。国会もマスコミもいつまでもこんな下世話なつまらないことにかまけているんじゃない、という識者の意見もあるようだ。たしかに北朝鮮のミサイルだ、安保法制だという話に比べれば、一小学校の認可云々(うんぬん)ははるかに小さい。
 しかし一国の行政が、「私人」であるという首相夫人の「私的な」意向で動いてしまうことを、そのまま見過ごしておくわけにはいかない。国民が政治家や官僚に権力を委ねているのは、彼らが恣意的にその権力を行使することはない、してはならないと考えられているからである。「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。」(日本国憲法第15条2項)――その前提が崩れてしまうな話は、きちんと究明されなければならない。でなければ安保など難しい問題を委託することはできない。
 たたただ下世話でスキャンダラスだから、みんなが喜んで騒いでいるだけではない。基本にそういう問題があるからこそ、これだけの事件になっているのだ。
 というのはおもしろがって予定をさぼってまでずっとテレビを見ていた自分への弁解でもあるが、奥方様のお声がかりひとつで御政道がゆがめられてしまうような世の中は、黄門様だってよしとはしないだろう。

 

 

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2017年3月20日 (月)

漢文の勉強2

 さてそれでは漢文とはいったいなんであるのか。
 前掲の吉川幸次郎『漢文の話』によれば、漢字で表現された中国語の文章を、「訓読」という方法に従って日本語に訳して読むのが「漢文」である、という。(p35)
 訓読に際してはいくつかの処置がほどこされる。おおまかには四つ。

1 語序の変更 「学而時習之」の「習之」を「之を習う」と読む。「習之」などと表記。
2 テニヲハの添加 「 「学而時フレ
3 用言に適宜語尾を付加 「学」…「字ぶ」「学びて」「学ばん」などに。
4 多くの場合、一字の単語は訓読み  「有朋自遠方来 」 「朋」=「とも」
     〃    、二字の連語は音読み  「遠方」=「エンポウ」 

 これらの処置の背後には二つの原則がある。
1 原文にあるすべての字を訳文にあらわそうとする。
  「学而時習之」は「学びて時に…」と通常読むが「学びて而して時に之を習う」のようにあらわすこともできる。
2 一つの字の訓は一つに決めて使おうとする。
  「時」は「とき」、「習」は「ならう」、動詞の「学」は「まなぶ」
 ただし例外もある。
1 句末の強調の用の助字のうちあるものはサイレントとし読まない。
 「矣(イ)」 「焉(エン)」など原中国文にあっても「おき字」として読まない。
2 助字は一字一訓の例外となるものが多い。
  「学而時習之」の「之」=「コレ」、「父母之年」の「之」=「の」 

 漢文の初歩をはじめて習ったのは中学校のときだと思うが、こういう説明は受けなかった。中国ではこれを頭から順番に読むんだということは誰も教えてくれず、ただ文章を見せられて、こう読むんだと教えられて、え、中国語ってひっくり返って読むの?と思った。
 高校生なってようやく、中国語を勉強しているのではなく「漢文」というものを勉強していることを理解した。字を見て、日本語として意味の通るように、ひっくり返すところはひっくり返して読むものなのだと学習した。わたしはわりとこの科目が得意だった。
 しかしはじめから、上記のように中国語を日本語に訳して読んでいるんだと説明してくれれば、もっとわかりやすかったのではないかと思う。漢文のおかげで、今でも中国語はひっくり返って読むんだと思っている人がいるのではないか。

 どうしてこういう漢文ができたのか。これも前掲の高島俊男『漱石の夏やすみ』には「「漢文」について」という章があって、おおむね次のようなことが書かれている。(p103~) 

 奈良平安の最初は当然支那語で音読してそのまま覚えた。そしてそれを日本語に訳すのに、そのころにできつつあった漢字の訓読みを利用して訳した。そこから原文の順序をあまり変えないで訳していく方法、「訓読」というものができてきた。
 これが平安あたりはまだ日本語として声に出して意味のわかる訳だったものが、江戸時代になるとぶっきらぼうに漢字を音読みするだけで、声で聞いたのでは意味がわからないようになってしまう。

 櫂穿波底月 船壓水中天

 これを「土佐日記」では
「さをはうがつなみのうへのつきを、ふねはおそふうみのうちのそらを」
と訳す。
 これが江戸後期の訓読になると、
「かいはうがつハテイのつき ふねはアッすスイチュウのテン」
と読む。「ハテイ」とはなんのことか字を見ないとわからない。 
 なぜこうなったかというと、「土佐日記」の例はあくまで日本語訳なのに、江戸時代の訓読は日本語訳ではなく、「よみ」にすぎないからなのである。もとの文章を覚えるために、もとの発音はわからないから、日本語の訓読み、音読みを駆使してともかく読んでしまう。
 ただし、お経のように全部音読みで頭から読んでしまうと、日本語では同じ音がむやみに多くて、とてももとの文章を喚起できない。だからところどころ順序が狂っても、もとの文章を喚起しやすい訓読が一般に行われるようになった。
 ここで重要なのは、訓読はあくまでもとの文章を喚起するための符牒で、意味はあくまで文字を見て理解するということである。
 「學而時習之」を「まなびてときにこれをならふ」と読む。「まなび・て」と読むのはそこに而があることを覚えるためである。「時」は日本語の「ときに」ではなくしょっちゅうということである。「これ」は日本語の「これ」ではなく、「習」が他動詞であることをしめす語である。だから「まなびてときにこれをならふ」という読みで、この文章の意味を考えてはいけない。意味は「學而時習之」をじっと見て理解する。
 日本人はこうして支那語の本を理解し、支那語の文章を書いてきた。しかし、この方法ははなれわざとしか言いようがない。
 この「漢文訓読」が、一つの単語に一つの訳語しか認めず、重々しい文章も滑稽な文章も同じ荘重風の文体で訳してしまうという「訳語一定、千篇一律荘重体」で、江戸時代末期から明治以降ひろまった。
 しかし、この訓読を日本語訳と考えるのはそもそも間違いで、前にも言ったように「學而時習之」の「ときに」はときどきではないのに、「ときに」にひきずられてそう理解されてしまう。音調を整えるための「以」が、「~を以て」と読むことによって、この「もって」は何を受けるか、というような話になってくる。だから、漢文はもうやめよ、支那語は支那語として読めというのが高島の主張である。

 なるほど、なんとなく平安の昔から「漢文」はあったのだと思っていたが、現在のような形になったのは江戸時代末期から明治以降なのか。日本人が作る「漢詩」というのも同じように江戸時代末から明治が最盛期らしい。

(「支那」について、高島には「「支那」はわるいことばだろうか」という一文がある(『本が好き、悪口言うのはもっと好き』所収)。) 

 

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2017年3月16日 (木)

漢文の勉強1

 漢文について勉強したことを少しまとめておくことにする。

 夏目漱石は、明治22年、数え年23歳のとき「木屑録(ぼくせつろく)」という漢文の紀行文を書いた。その年の夏休みの房総旅行の記録で、同級生の正岡子規に見せるためだったという。その書き出しは次のとおり。(原文は句読点なし。旧漢字は新漢字に改めた。)

余児時誦唐宋数千言、喜作為文章、或極意彫琢、経旬而始成、或咄嗟衝口而発、自覚澹然有樸気、竊謂古作者豈難臻哉、遂有意于以文立身、自是遊覧登臨、必有記焉。

 これについて、吉川幸次郎は『漢文の話』(ちくま文庫、1986)に、次のように読み下し、こう書いている。

余児時(じじ)唐宋の数千言を誦し、文章を作為するを喜ぶ。或いは意を極めて彫琢(ちょうたく)し、旬(じゅん)を経て始めて成る。或いは咄嗟(とっさ)に口を衝(つ)いて発し、自(み)ずから澹然(たんぜん)として樸気(ぼくき)有るを覚ゆ。窃(ひそ)かに謂(おも)えらく古(いにしえ)の作者も豈(あに)臻(いた)り難からん哉(や)と。遂に文を以って身を立つるに意有り。是自(よ)り遊覧登臨、必ず記有り。

 いおうとすることは、私は子供のころから、唐人(ひと)宋人(ひと)の数千字の文章を暗誦し、それを模範として漢文を作るのが好きであった。ある場合には一生懸命にねりあげ、十日ばかりもかかってやっと完成した。ある場合にはとっさに口から飛び出したのを、かえってあっさり素朴であると感じた。ひそかな自負として、古代の作者だって到達に困難であろうかと、そう考え、かくて文章で身を立てる気もちを抱いた。それ以来、どこかへ遊びに行き、山に登り、水を前にするたびに、紀行文を作った。というのであるが、それを漢文として右のように表現している。文法的な誤りがないばかりでなく、後にしばしばふれるように、漢文はリズムが大切であるが、日本語の訓読としてのリズムが大へんよいばかりでなく、中国人に見せて、中国音で読んでもらっても、高い評価をうるであろう。明治の漢文としてもっともすぐれたものの一つであり、同時の漢学専門家でも、これだけの筆力は普遍でなかったと思われる。高等学校の漢文の教科書に、採録したものがないよしであるのは、ふしぎである。(P14)

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 べたぼめである。中国文学の大家吉川幸次郎先生のお言葉だから、われわれ素人はへへーっとかしこまってうけたまわるしかない。なるほど漱石は若いころから漢文の達人で、文章で身を立てるつもりがあったんだ、たいしたもんだと思わざるを得ない。

 ところが同じく中国文学研究家の高島俊男は『漱石の夏やすみ』(朔北社、2000)に次のように書いた。
 まず冒頭の部分をこう訳した。

 我輩ガキの時分より、唐宋二朝の傑作名篇、よみならつたる数千言、文章つくるをもつともこのんだ。精魂かたむけねりにねり、十日もかけたる苦心の作あり、時にまた、心にうかびし名文句、そのままほれぼれ瀟洒のできばえ。むかしの大家もおそるるにたらんや、お茶の子さいさいあさめしまへ、これはいつちよう文章で、身を立てるべしと心にきめた。
 さあそれからは、どこかに行つてものぼつても、かならず文章つくつたものさ。(P18)

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 文の大意は吉川が示したものと変わらないが、大きく異なるのは文章の調子である。子供のころからせっせと文章修行に励んだという真面目な話が、高島訳ではちょっとふさけた、冗談ぽい話になっている。
 高島はこれがこの文章の真意であるという。同じ頃に漱石から子規へあてた手紙を見ても、「先頃手紙を以て依頼されたる點數一條おつと承知皆迄云ひ給ふな萬事拙の方寸にありやす先づ江戸つ子の為す所を御覧じろ」など江戸の通人ぶった口吻でふざけたものなどがある。こういうふざけを通じてお互いのセンスを比べあっていた。漱石も子規も笑いながら文章を交換していたのだという。
 なるほど学生同士のやりとりで、学識のあるところをひけらかしあったり、戯文を書いて見せあったりというのはままあることである。現代の若者だってやっているだろう。
 また高島は、この文章を吉川のようには称賛せず、あちこち手直しすべきところがあるとしている。(p190~197)

 漢語の文章には真面目な文章もふざけた文章もある。それをみんな「窃(ひそ)かに謂(おも)えらく古(いにしえ)の作者も豈(あに)臻(いた)り難からん哉(や)」などと一律に荘重体のチンプン漢文で読んで、ありがたがっていてはいけないというのが高島の主張である。
 なるほどもっともだ。『木屑録』の読み方は、高島のいうとおりだろう。
 
 

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2017年2月23日 (木)

一人の方の本

 大阪の私立小学校への国有地の払い下げをめぐって、国税のトリクルダウンが起こっているのではないかと騒がれている。最近ようやく大手メディアも取り上げるようになってきた。安倍首相は「私や妻が関係していたということになれば、首相も国会議員も辞める」と国会で述べたそうだ。。
http://www.asahi.com/articles/ASK2K562KK2KUTFK00Z.html

 同じような答弁が、この本が発行されたときにもあった。金正男暗殺事件もあったので、ちょっと引っ張り出してみた。
 『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』(講談社、2015)
 拉致被害者の蓮池薫さんの兄、もと家族会の事務局長でもあった蓮池透氏の本である。

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 こんな題の本を出して大丈夫か、というのが本屋で見かけた時の最初の感想で、下手すると出版差し止めになるかもしれない、早めに買っておこうとその場で買った。

 著者がこの題名で言おうとしたことは、次の文章に要約される

 世間では、北朝鮮に対して当初から強硬な姿勢をとり続けてきたと思われている安倍首相は、実は平壌で日本人奪還を主張したわけではない。(中略)安倍首相は拉致被害者の帰国後、むしろ一貫して、彼らを北朝鮮に戻すことを既定路線として主張していた。弟を筆頭に拉致被害者が北朝鮮に戻ることを拒むようになったのを見て、まさにその流れに乗ったのだ。そうして自分の政治的パワーを増大させようとしたとしか思えない。
 いままで拉致問題は、これでもかというほど政治的に利用されてきた。その典型例は、実は安倍首相によるものなのである。(p53)

 この本について国会で民主党の緒方議員からの質問を受けた安倍首相とのやりとりが産経ニュースの頁にある。(2016年1月12日の衆院予算委員会)

安倍晋三首相は12日午前の衆院予算委員会で、北朝鮮による日本人拉致問題をめぐり、民主党の緒方林太郎氏から「拉致を使ってのし上がったのか」と問われ、「議論する気すら起きない。そういう質問をすること自体、この問題を政治利用している」と切り捨てた。また、この問題を巡る自身の発言について「真実だ。バッジをかける。言っていることが違っていたら、国会議員を辞める」と覚悟を示した。
http://www.sankei.com/politics/news/160112/plt1601120061-n1.html

 最後に首相は「政治利用」との指摘に対し、「こんな質問で、大切な時間を使って答えるのは本当に残念だ。1人の方の本だけで誹謗中傷をするのは、少し無責任ではないか」と述べ、怒りがさめやらぬ様子だった。
http://www.sankei.com/politics/news/160112/plt1601120061-n4.html

 「1人の方の本だけで」云々(うんぬん)というのは、まったくそのとおりだ。民主党の議員は「この本に書いてあることは本当か」と聞いているだけで、他に裏付け資料やその他の証言もなく、まるで芸がない。少しは調べたらどうか。簡単にあしらわれて終わってしまった。
 一人の方の本とはいえ、読んでみると、弟の行方不明以来ずっと苦労してきたことだけでなく、役所・政府の対応から「家族会」や「救う会」の運動の内情まで、具体的に書かれていて、テレビや新聞では報道されてこなかった裏側をかいまみることができる。
 無論違う立場からの違う見方もあるだろうが、拉致に翻弄されながら立ち向かってきた「一人の方の本」として貴重なものである。
 現在も安倍首相は辞めてないし、蓮池氏もこの本が誤りだったとは言っていないから、真相はあきらかになっていない。
 真相が明らかになるより、拉致問題が解決することの方が重要だけれど、そちらもさっぱり進展していない。最近の報道は北朝鮮と言えば核にミサイルで、さらにこの連日は金正男事件ばっかり。拉致問題のことはほとんど忘れ去られたように見える。
 しかし今日(2017/02/22)の東京新聞朝刊には「家族会きょう首相と面会」という記事があった。もう待てない。救出期限を「今年中」と決めて対応してほしいとの趣旨である。家族の苦難は続いている。

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 上の記事の担当大臣の言葉には「安倍政権は拉致問題に最優先で取り組む」とある。以前、拉致問題の解決は安倍政権の「一丁目一番地」だと言っていた記憶がある。最近はさっぱり聞かない。どうかがんばっていただきたい。

 話は変わるが、この「一丁目一番地」という表現が嫌いだ。最優先課題がどうして「一丁目一番地」なのか、二丁目三番地はどうでもいいのか。気のきいた表現とはとても感じられない。
 「一丁目一番地」と言えば昔のNHKのラジオドラマを思い出す。「ちょっと失礼おたずねしたい、ここらは何丁目何番地…」という主題歌があった。
 志村けんを思い出す人もいるらしい。あれは「イッチョメ、イッチョメ」で番地は出てこない。どちらにしてももう若い人は知らないけれど。

 おまけ:東京新聞の斎藤美奈子の「本音のコラム」切り抜き、2016/07/17「泥沼化の背景」

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2017年2月 6日 (月)

カオハガン講演会

 2月4日(土)、「2050年のカオハガン島への望み」という講演会に行ってきた。カオハガン島はフィリピンのセブ島のそばにある小さな島で、日本人の崎山克彦さんが買い取って、美しい自然の中で住民と一緒に楽しく暮らしていることで知られている。島での生活を書いた崎山さんの著書『何もなくて豊かな島』(新潮社、1995)は、発売当時ベストセラーになった。

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 わたしは週刊誌の巻頭カラーグラビアに紹介されたきれいな島の姿に驚き、この本を読んでとても感動した。
 そして宿泊ツアーがあるのを知って2001年にカオハガン島を訪れた。本のとおりの小さなかわいい島で、緑の林、白砂の浜辺、エメラルドグリーンに透き通る珊瑚礁の海、点在する家、どれもみな本当に美しかった。
 だからなつかしく、また、その後や今後の話を聞こうと講演会へやって来た。
 会場は横浜の本郷台にある「あーすぷらざ」という、いったい何をするところなのかよくわからない施設。正式名称は「神奈川県立地球市民かながわプラザ」というそうだが、正式名称を聞いてもわからないのは同じだ。役所が率先してこういうわけのわからない名前をつけたがるのは困ったものだ。「文化会館」「文化センター」と言ってくれればわかるのに。

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 カオハガンの展示もあわせて行われており、島の写真や島の特産品であるカオハガン・キルトがたくさん展示されていた。

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 講演会のタイトルは「2050年のカオハガン島への望み」だが、話の大半は、島で暮らし始めてからこれまで島の住民たちとどんなことをやってきたかという話だった。わたしは崎山さんの本は何冊も読んでいるので特に驚くような話はなかったが、島を訪れたときのことを思い出しながら楽しく聴いた。
 現況などについては、カオハガンのオフィシャルサイトもある。
カオハガン島オフィシャルサイト

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 崎山さんがえらいのは、この南海の楽園ともいうべき島を手に入れても、法的な所有権はないが以前からそこに住みついていた三百人あまりの住民を追い出そうとしなかったこと。できるだけ彼らの暮らしをこわさないように一緒に生きてきて、現在島民は六百人以上になっているそうだ。
 日本人がこんなところを手に入れたら、崎山さんも『南海の小島カオハガン島主の夢のかなえかた』(2000、講談社)に書いているように、まず考えるのは自然の一部を切り取って囲い込み、リゾートにして金を儲けることだろう。原住民は安い労働力として使われるが、現地の暮らしとの交流はない。
 あるいは最近はあまり聞かないが、昔「シルバー・コロンビア」計画というのがあって外国の安い労働力を使って日本人高齢者のための居住区をつくるという話があった。この場合も居住区は頑丈な塀で囲われて現地の暮らしとは隔絶される。カオハガンの帰りにセブ島でこの種の施設を少し見て来たが、ガードマンが銃を持っているところがあったように記憶している。
 しかし崎山さんは25年前、現金を使う必要もあまりなかった彼らの暮らしを大きく変えるようなことはしなかった。そのままの暮らすことを容認し、欠けていた教育や医療というニーズを少しずつ満たすようにした。そうしながら少しずつ押し寄せてくる近代化に飲み込まれてしまわないようにすることも考えながら対処してきた。
 これは口で言うほどたやすいことではない。小学校2年までしか受けられなかった島内の小学校をまず6年制にし、優秀な子には奨学金を出して島外のハイスクールにも行かせるようにした。そしてさらに大学まで行く生徒も出ているとのことだが、中には高い教育を受けさせた結果、島のこれまでの生活がいやになってしまうな子供も出ているという。
 日本には都会に憧れて田舎から出て行く子供はいくらでもいる。海で小魚や貝を自分たちが食べる分とトウモロコシとの交換に必要なだけ捕っていて、お金がほとんど不要な暮らしをしていたが、今では少しずつお金もになってきているそうだ。近代化の波は避けられない。その中でカオハガンの自然と暮らしをできるかぎり守っていくのは大変なことのように思える。

 十数年ぶりにの崎山さんはお元気で、講演会はしっかりつとめられた。しかしだいぶお年を召したように見えた。現在81歳だというから、島でお会いした2001年には65歳ぐらいで今の私より若かった。わたしに老けて見えるのも無理はないと許してもらおう。
 島には住み続けるけれど今年の6月の誕生日には細かい実務からは引退して、今も手伝ってくれている若者たちに後はまかせるそうだ。この先どうなっていくのか、機会があったらまた訪れたいとは思っているが、はたしてかなうかどうか、心もとない。

 

 

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2017年1月23日 (月)

トランプ予言

 アメリカの新大統領で日本のメディアは大騒ぎだ。

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 隣の国の大統領が変わったというだけでどうしてこんなに大騒ぎしなければいけないのか。言ってみても無駄なことで、しょせん日本はアメリカの属国。安倍首相が強引に可決したTPP法案も新大統領の一言であっさり葬られてしまうくらいだから、宗主国の頭領様のお考えやおやりになることをあれこれ忖度したり、鼻息をうかがったりしなければならないらしい。
 だいたいアメリカ人も、なんであんな「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のいじめっ子を大統領にするんだ、ドラえもんのジャイアンを総理大臣にするようなもんじゃないか。

 腹立ちついでに、トランプの四年後を「予言」してみることにする。ほとんど根拠のない、「カン」に基づいたもので、当たるも八卦当たらぬも八卦、トランプ占い、トランプ予言というところだ。だから当たらなくても何の責任もとらないことは最初に断っておく。

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1 トランプの政策はうまくいかない。
 スタートの時点でこれだけ反対者がいて、しかもメキシコに壁をつくらせるとか、できそうにない政策をたくさんかかげている。無理に実行に移そうとすれば、あちこちで軋轢が生じ、対立は拡大するばかり。実行できなければ支持者も離れていく。

 そもそも就任演説のこれはなんなんだ。

何十年もの間、私たちはアメリカの産業を犠牲にし、外国の産業を豊かにしてきました。他の国々の軍隊を援助してきました。一方で、アメリカの軍隊は、悲しくも枯渇しています。私たちは他の国の国境を守っていますが、自分たちの国境を守るのを拒んでいます。海外に数兆ドルを投資しましたが、アメリカのインフラは絶望に陥り、腐っています。他の国々を豊かにしましたが、自国の富、力、自信は、地平線のかなたへ消えて行きました。(訳は「ハフィントン・ポスト」から)

For many decades, we've enriched foreign industry at the expense of American industry; subsidized the armies of other countries while allowing for the very sad depletion of our military. We've defended other nation's borders while refusing to defend our own and spent trillions and trillions of dollars overseas while America's infrastructure has fallen into disrepair and decay.

 アメリカが犠牲となって他国に富をむしり取られている? どこのアメリカの話だ。先日「世界で最も裕福な8人が保有する資産は、世界の人口のうち経済的に恵まれない下から半分にあたる約36億人が保有する資産とほぼ同じだった」というニュースが流れたばかりだ。この8人は以下のとおりで、うち6人はアメリカ人だ。

1位:ビル・ゲイツ(マイクロソフト社創業者)
2位:アマンシオ・オルテガ(スペインの実業家。ZARA創業者)
3位:ウォーレン・バフェット(投資家)
4位: カルロス・スリム・ヘル(メキシコの実業家。中南米最大の携帯電話会社アメリカ・モビルを所有)
5位:ジェフ・ベゾス(Amazon.com創業者)
6位:マーク・ザッカーバーグ(Facebook創業者)
7位:ラリー・エリソン(オラクル創業者)
8位:マイケル・ブルームバーグ(前ニューヨーク市長)http://www.huffingtonpost.jp/2017/01/15/eight-men-own-half-the-worlds-wealth_n_14194250.html

 地平線のかなたに消えた富が、まわりまわってアメリカの富豪のふところと租税回避地にあることぐらい新大統領だって知っていると思うんだが、本当に知らないんだろうか?
 金融やITをはじめグローバリゼーションで一番稼いでいるのはアメリカで、世界中から富を集めている。なのにそこで保護主義? 
 儲かっているところはそのままにして、赤字のところだけ高い関税にするようなご都合主義の保護主義を一時的に力で押し通したとしても、いつまでも無理は通らない。それにアメリカは赤字だと言いながら、もうけている外国の会社はアメリカ資本だったりするんじゃないか。

 製造業の雇用を増やすと言っているが、そもそもITなどアメリカの最先端技術は、グーグルの自動運転車、アマゾンのドローンによる無人配達など現場の労働力を減らす方へ減らす方へと向かっている。人工知能(AI)が人間を超える技術的特異点(シンギュラリティ)が2045年にもやってくるとも言われている。
 だから就任演説で、

 生活保護を受けている人たちに仕事を与え、アメリカの労働者の手と力で国を再建します。

 We will get our people off of welfare and back to work – rebuilding our country with American hands and American

 こう言ってみたところで、人間の労働を減らす長期の流れは止まらない。将来的にはAIと機械が生産労働に従事し、普通の人々は、生活保護ではなく、ベーシック・インカムを支給されて暮らすようになるだろう。SFが実現する。わたしの生きているうちには無理だろうがきっとそうなる。ついでに予言しておこう。

2 流れは変わる。
 うまくいかない政策をゴリ押しすることによって、アメリカ社会に混乱が生じ、それは世界にも波及する。
 トランプが当選したのは、ザッツ・エンタテイメント、選挙ショーとして楽しまれたからだけではなく、社会の閉塞感をともかく打破してほしいという人々の意志のあらわれでもあったのだろう。だからその期待感に沿って、ともかく社会は変わる方へ動く。しかしそれがいい方向に向かうか悪い方向に向かうかは今の時点ではわからない。
 あんまり具体的に悪い未来――核戦争が起こるとか予言すると、予言が当たることを期待するようになる=呪いをかけることになるので、言わないことにする。混乱が良い方向へおさまっていくことを期待する。

3 4年の任期をまっとうできない。
 政策はうまくいかない。反対者はさらに多くなる。下手をすれば内乱状態で、共和党からも見放され、任期途中で辞任することになる。最後までなんとかしがみついていたとしても再選はない。
 アメリカのことだ、不慮の事故や暗殺だって起こりうる。国内の反対派からISのテロまで、いろんなケースが考えられる。
 これまで読んだスパイ・スリラーなどの知識を元にすると、言うことを聞かない新政権にうんざりしたCIAが、ISのテロリストを手引きして実行させる、という筋書きが最も実現性が高いのではないか。しかしこれも呪いにならないよう、予言ではなく、スパイ・スリラーの話にとどめておく。

 以上、新味も深みもない予言だが、書いておかないと、後日このとおりになったとき、「ドーダ、おれの言ったとおりだろう」と言えないので、とりあえず書いてみた。それに四年もたつと、何を考えていたか忘れてしまっているかもしれない。
 後になって結果が出てから、「おれはこうなると思ってた」とか「あの株は絶対上がると思ってた」とか言うやつがよくいるが、証拠もなしに言われたところで信用できない。たいていの場合はそうなると確信していたわけではなく、可能性のひとつとして考えていたくらいの話を、さもはじめからわかっていたかのように言っていることが多いようだ。
  今回は証拠をきちんと残して、当たったときには「ドーダ」と自慢し、はずれたときには忘れることにしよう。

 鹿島茂の『ドーダの人、小林秀雄』(朝日新聞出版、2016)は、昨年読んだ本の中で五本の指に入る面白い本だった。
 「ドーダ」というのは、「ドーダおれはすごいだろう。ドーダまいったか!」というときのドーダである。自己愛の表出であり、すべての表現行為の基本にある。小林秀雄の著作は外国語自慢の外ドーダや晦渋な言葉を並べる難解ドーダなど各種のドーダでできており、ほとんどそれだけだ、というのが鹿島の小林秀雄解釈で、非常に納得できた。
 わたしも「ドーダ」と言ってみたい。

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2017年1月 2日 (月)

謹賀新年2017

あけましておめでとうございます。

2017
 本年もよろしくお願いします。

2017.1.1

                   南無谷窮居堂

 

 ニワトリのペーパークラフトを作りました。

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 薄い紙で作ったので、机から落としたらあちこちひしゃげてしまいました。もう少し厚 い紙で作り直そうと思っているうちに年末も押し詰まってしまい、このままでお目見えします。

  酉年にちなんだ成句には、口牛後(大きなものに従属するより小さなものの長であれ)、牛刀割(些細なことに大がかりな手段)、群一鶴(凡人の中に傑物がひとり)などがあります。どちらにせよ鶏は小さくてたいしたことのないもののようです。
 さらに探すと皮鶴髪(ニワトリのようなシワ、鶴のような白髪)という老人を指す言葉があり、胸亀背(腹が出っ張って猫背)、オレのことを言っているのか、と思わせる言葉もありました。

 まあ、小さくてたいしたことはなくても老人でも、ささやかにやっていきましょう。

 今年もよろしくお願いします。

2017

 これまで月・木の週二回、このブログを書いてきましたが、今年は月曜は毎週、木曜は不定期、ということで週一~二回というペースにしようと思っています。よろしくご了承ください。
 ということで1月5日はさっそく休み、次回は1月9日(月)です。

 

 

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2016年10月17日 (月)

どっこいどっこい

 おりょうが横須賀で一緒に暮らした夫西村松兵衛はテキ屋で、「どっこいどっこい」あるいは「どっこい屋」と言われる商売をしていた。
 この「どっこい屋」について、司馬遼太郎が『街道をゆく37 本郷界隈』(朝日文庫、1996)の中で書いている。おりょうとはまったく関係なく、根津権現(根津神社)の章に出てくる。

37

 三遊亭円朝作の人情噺『心中時雨傘』は、根津権現(根津神社)の露店でどっこい屋をしていたお初という女が主人公だという。円朝の速記録、古今亭志ん生のテープをもとに、司馬はそのストーリーを語っているが、その志ん生の話が YouTube にあるので、興味を持たれた方は、そちらで聞いていただきたい。
https://www.youtube.com/watch?v=RrXa-WiMLgw
 「どっこい屋」の話はこうだ。

当時の露店に”どっこい屋”というのがあった。仕掛けは一種のルーレットで、どうも街頭賭博であったらしい。
 ただし、表むきは菓子などを盛りあげてそれを賞品としているが、実際は小銭を賭けたのではないか。
 明治三十年年刊の『絵本江戸風俗往来』などをみると、六角形の大きな独楽(こま)がルーレットになっていて、六角の一面ずつに、花札のような絵が描かれている。
 あるいは円盤があって、六つか八つの区画にわかれていて、円盤がまわらず、円盤の中央についた指針が旋回する。
 客がまわしはじめると、露店のぬしが、
「どっこい、どっこい、どっこい、ああ惜しい」
 と叫ぶ。(p84)

 国会図書館デジタルコレクションの「江戸府内絵本風俗往来. 中編(2コマ〜)、下編(86コマ〜)」を見ると、こんな挿絵が載っている。

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 文章の方には、もともとは子供の遊びだったものが、大人が博打につかうようになり、街頭でおのぼりさんをつかまえて小銭をまきあげるのに使われるようになった。仲間うちのサクラでがはじめに大金を稼ぎ、それにつられた客は一度目は勝ってもやがて負ける。ルーレットのようにまわす竹の篦(へら)には仕掛けがあった、などと書いてある。

 高橋恭一の『坂本龍馬の妻りょう女』には、「どっこいどっこい」について、こう書いてある。

 この「ドッコイドッコイ」は、当時流行したものらしく、明治六年八月の「新聞雑誌」(第百三十二号)に、「大流行のドッコイドッコイ」と題し、

俗ニ、ドッコイヽヽヽヽト呼テ、銭ヲ賭テ菓子類ヲ取ルコトアリ。府下街上何クノ地ニモ在ラザルナク、頃日ハ尤モ盛ニ取行ヘリ。多クハ野郎子供ノ好メル業ニテ、中には、地半、烟草入ナドヲ賭クル者アリ。僅ニ十文二十文ノ銭ヲ以テ勝負ヲナスハ、楊弓吹矢モ同様ニテ、猶黙許スベキコトナレドモ、少シク番人等ノ注意ナクテハ自然ト博奕ニモ同ジキ様立至ルベシ。

と、その内意を説明している。(p66)

 ずいぶん流行ったものらしいが、たいした稼ぎにはならなかったようだし、世間に胸を張って言えるような商売でもなかったようだ。

 龍馬死後のおりょうが主人公という珍しい映画、『竜馬の妻とその夫と愛人』では、おりょうの亭主松兵衛の職業は「どっこい屋」ではなく、大道易者になっていた。どっこい屋の実演が見られるかと思ったのに、残念だった。

Dvd
 この映画はレンタルには見つからず、DVDを買って見たが、ちょっと期待はずれだった。脚本が三谷幸喜なので、もう少し笑える映画かと思っていたが、意外に笑えるところが少なかった。(監督市川準、鈴木京香、木梨憲武、中井貴一、江口洋介)

 この映画の話はまたそのうちに。

 

 

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